ウルトラセブン
36話・必殺の0.1秒
*解説が難しいので画・写真を重複掲載します。
画1
ソガ隊員が参加した射撃場の一部は、二子玉と美センの間に *在った、公営の健康保険二子玉川園スポーツセンター内の 一番大きい南東の野球場、三塁側ベンチ近辺で撮影されました。 *現在は2010年に、五島育英会東京都市大学総合グランドと 変わり、撮影に使用された一番大きな球場のみ リフォームして存続しています。
図
上の画1で、ポインターが停まって居たのが 図●の所です、赤い■が1.3塁ベンチです。
当時は西側に、もう2つ小さな球場が在りましたが 現在は、別のスポーツ施設に変わって居ます。 赤■のコンクリートのベンチは、1966年の航空写真 でも、1番大きな球場にのみ確認出来ます。
画2 画2のカットは本来のベンチ部分で、グランドから 少し低くなっていて、奥の上に棚が在るのが解ります。 この右奥のコンクリ壁の向こうが、画3の場所です。
解り難いですが、現在のリフォーム後も 1.3塁ベンチ共に低くなっていて、奥の上に棚が在ります。
多摩川グランドの謎?
ウルトラセブン撮影日記では、43年3月29日午前に 多摩川グランドと記載されていますが、巨人軍の 当時練習場に使用された、多摩川グランドは メジャーな場所なので、写真も多いのですが 確認する程も無いくらい、ベンチも、その後ろの 土手の傾斜や、グランドとの距離などが作中ロケ地と異なります。
健康保険二子玉川園スポーツセンターは 健保グラウンドとか、玉川グランドと略して 呼ばれていたそうで、どうも玉川(園)グランドを 口頭で言っていたロケ地を、多摩川グランドと記載 してしまったようです。
因みに、玉川グランドから200mちょとに多摩川は 流れていて、当時は東急砧線 図下青線の向こう(南)に 多摩川が見える箇所が在ったそうです。
また南東の多摩川近くに二子玉川緑地運動場が その後出来ますが、セブン撮影時は読売飛行場が まだ、その場所に在って1973年7月18日以降に 世田谷区の運動場として変貌していますので 二子玉川緑地運動場の野球場では在りません。
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画3
アンヌ・フルハシ隊員が居るカットでは手前にも コンクリートの低い壁が在り、画2のベンチ部分とは 異なる部分なのが解ります。 この部分は、当時砂を入れて置いた場所で 野球する方や詳しい方は、解ると思いますが 雨あがりなどでに、ぬかるみに濡れて無い砂を 撒く為に、屋根の在る保管場所として、ベンチの 外野側に小さい分離したスペースが造られていました。
現在のリフォーム後の三塁側ベンチです。 外野側のアンヌ・フルハシ隊員が居た部分は 扉が付けられ、管理用具入れになっています。
1塁側ベンチの外野側は、現在も同じ使用目的で ドアが無く存続しています。(*写真左外野側部分)
画1
また奥に見える土手は、野川図上の川の堤防です。
セブン撮影後に、画1堤防も整備され石垣になっています。
U警備隊の集合カット画1で、ポインターの背後に 見えた土手は、奥の斜めの石垣部分です。図● 画1と同じくらいの幅で、直ぐに土手が在ります。
SPECIAL THANKS
情報協力 メトロンハートさん
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