光跡★
関東のデータにて構成・左よりNHK1・NHK3・日本テレビ4・TBS6・フジ8・NET10・東京12チャンネル12
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NET>現・テレビ朝日 東京12>現・テレビ東京 *1975年前は系列局が整備されていない為○○TV系も控えます。 |
▼玩具・レコード・本・他Qちゃん私物 41.1.2日曜日 夜7:00
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▲■記事内容・円谷監修で空想シリーズ 特撮ものでは世界的に有名な円谷英二が 全作品の監修に当り毎回完結で主として 自然界のバランスがくずれたらという 想定のもとに一連の空想物語をえがいてゆく
QQQのQ♪上は固いレコード下のペコちゃんとの コラボはソノシートで、中にはペコちゃんの 振付けの画があります♪ 右上がバンダイ「おはなしオバQ」ミニレコード 内臓で、8パターン話す。ほぼ同サイズのプラ製 歩行人形もあります。同じ髪のい毛を引くと話す 歩行の方は、音頭に合わせたはっぴを着て音頭が 鳴ります。画像の商品に着たものも存在します。 右下はトミーのミニチュアシリーズで、後に ウルトラQ、マルサン・トミー提携商品として 赤ちゃんシリーズのソフビを乗せた物が 発売されています。
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▲昭和41年1月2日の夜7:00~7:30TBS系にて「ウルトラQ」第1回の放送が始まりました。 このラテ欄は正月だった為に、当時は少し前の年賀状のように1日配達で、2日休刊日が 基本だった為(地方などで異なる)、1日に見たと言う子供が多い。 特に左の新聞のように、ラテ欄横にゴメスやリトラの写真入りで載っていた新聞には 子供が喰いつかないはずもなく、1日の放送だと一瞬間違えた子も居たそうです。 >親戚の兄ちゃんYの事(^^; 前々からゴジラの円谷英二の番組として、引っ張られて来た子供達には、毎週アニメが見れる ようになったアトム以来、怪獣映画(など)が毎週見れると言う事自体が夢のようでした。 一般や他局・映像関係者も注目した日曜7時のTBSの枠は、後にQQコンビ QQタイムとして、関係局には絶大なる看板番組になり、他局には恐怖のQQタイムとして 手のつけられない時間帯と、恐れられる事になり「怪獣ブーム」が巻き起こります。 もう1つのQ「オバケのQ太郎」は、1965年8月29日から7:30~8:00で 先に不二家の持枠で放送開始!アトム以後、鉄人28号、エイトマンと3大ロボットアニメに 続いてアニメ(当時はまんが映画)が放送される中、まったく違うオバケのキャラは 舞台が当時の空地など、子供の実生活そのままの親しみやすさなどから大ヒットします! と言うより場外大ホームラン規模のオバQブーム*を日本中に巻き起こしていました。 *最高視聴率36.7% レコードの売上も、66年レコード大賞童謡賞オバQ音頭200万枚の 大ヒット! ソノシートなど合せて600万枚以上売り上げます。 TVのキャラの歌が こんなに売れるものなのか!と各レコード会社が慌てて子供番組の確保にのり出す始末だが オバQは特別で、その後80年代のCDに変るまで生産され続けると言う、驚異の 大ヒット&大ロングセールになります! Qちゃん(光跡)も、もちろんEP、ソノシート、音頭のレコードも持っていました♪ おそらく70年代までは、かなりの地区でオバQ音頭は盆踊りでかかっていたと思います。 スポンサーの不二家も、当時の額で80億以上の売上を記録!その内75%がオバQの商品 だったと言う人気ブリに、当時の不二家の社員はまさにオバQ様・様だったと言います。 その後67年3月26日まで日曜同枠で放送、水曜6時に移り67年6月28日まで放送するが… なんとオバQ人気は衰えを知らず…子供達の「辞めないで」の声に、TBSは異例の そのままの放送枠で~69年3月まで再放送を放映すると言う事態にまでなります。
ウルトラQ右隣の枠フジテレビの同時間には、手塚治虫のW3(ワンダースリー)が 土曜日の鉄腕アトムと同じ時間帯、翌日日曜日に見れる手塚アニメとして人気で 20%以上の数字を取っていました… 7時からフジ「Wスリー}>7時30分からTBS「オバQ」と言う子供が多かったのですが ウルトラQが同たいむ7時にに来た事で、7~8時がTBSの圧倒的視聴になります。
手塚治虫の子供に、奥様が「パパの番組を見なさい」と言ったのに対して 「子供の好きなものを見させなさい」と、ウルトラQを承認した 懐の大きいエピーソードは、手塚ファン・漫画ファンには有名です。
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41.1.9日曜日 夜7:00
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61年渡辺プロが双子の歌手 ザ・ピーナッツを、モスラの小美人と ピーナッツホリデーで、売り出す予定が スポンサーの牛乳石鹸の意向で 番組名はシャボン玉ホリデーとなります。 ピーナッツは、今は皮無しの物を思い 浮べる人が多いかもですが、この頃は 落花生のヒョウタン形の皮付き(双子) を連想する人が多かった。 その為か東宝では、モスラの繭が ヒョウタン形になっている理由との噂が ありましたが、一般的な噂では無く事実は よく解らない…ままです(^^; *当時の蚕などの繭は、カネゴンの繭の ような楕円形が多かった。 *レコードは後年発売された物。
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第2回放送は、1回目の恐竜タイプと怪鳥に続いてキングコング系の怪獣の登場。 すでにウルトラらしい殺さないラストと、建物のミニチュアワークがある回でした。
TBS4時の映画「エイトマン」は、この日は(再)の字が抜けていますけど再放送です。 *TBSなので8マンではなくエイトマン。*本放送は63年11月8日~64年12月31日全56話 6:00のてなもんや三度笠は、当時の大人気番組で藤田まこと、白木みのる、財津一郎 などを人気者にした公開録画番組でした。 スポンサーの前田製菓から来た 「あたり前田のクラッカ~♪」財津さんの「ヒッジョ~にキビシ~イ!」と共に流行った 超人気ギャグで、今でもおじさんは使います(^^; *62年5月6日68年3月31日に朝日放送・TBS系列で放送最高視聴率64.8%のオバケ番組 その後にQQタイムが続くのでは、他局は…もうなす術が無かったと言うのも頷けます。 日本テレビ6:30からのシャボン玉ホリデーは、61年6月4日~72年10月1日全591回で モスラ(61)で、お馴染のザ・ピーナッツを売り出す番組として始った歌番組でしたが ハナ肇とクレージーキャッツが、コントと共に人気になり 「お呼びでない?…コレまた失礼致しました!」の植木等のギャグや 「ガチョ~ン♪」と言う谷啓のギャグ 「ハラホロ ヒレハレ」など、共にカメラを 連動したTV時代のギャグが人気になります。、放送作家で裏方の青島幸男も 出演するようになって人気者になります♪ *その後ウルトラマンにゲスト出演しています。
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41.1.16日曜日 夜7:00
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タケダ、タケダ、タケダ~♪ 1月2日のA新聞ラテ欄下に 武田薬品は広告を出しました。
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第3回放送では、見た事も無いタイプの宇宙怪獣が登場!モチーフは子供にも明かな ナメクジの怪獣ナメゴン♪ 怪光線を出す光学合成がTVで目立ちました! まだ3回目の放送なのに、フジテレビのW3の数字的ダメージは大きく・・・ 日本テレビも視聴者層が違うにしても、大人もウルトラQを観る始末で 左のスターパレードはスターまつりなる豪華なキャストで反撃を試みるも…効果薄でした。 QQタイムの後の枠を見てみると、「FBI」外国作品をオンエアしていました。 この時期TVは、今のCSに近く(^^;ソフト不足で昼間などは、ほとんどの局が 海外テレビ映画を放送していた為、60年代産まれの世代はウルトラQやマン、セブンにも 出てくる外人さんや、外車などと共に外国作品をよく見て育っています。 日本テレビの8:00枠「青春とはなんだ」は、夏木陽介主演で、 平田昭彦、二瓶正也 阿知波信介らも出演していた人気学園ドラマで、ウルトラQと同じ美センで当時 撮影されていました。
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41.1.23日曜日 夜7:00
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制作第1号のマンモスフラワーが4番手に登場した放送日です。 宇宙怪獣の次には植物怪獣の登場で、大都会東京が舞台なのも初めてです。 高視聴率だったW3も、フジテレビや虫プロがW3の今後を検討…
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41.1.30日曜日 夜7:00
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1月29日の広告にオバQやジャングル大帝 と共に、すでにウルトラQのソノシートが 掲載されています。 右下には「おそ松くん」のイヤミが シェー!のポーズで、2月からのTV宣伝を 朝日ソノラマの広告内でしています♪(^^; 一番上は「おはようこどもショー」の ソノシートで、この頃は司会が石川進 (Q、地底超特急やマンのイデ隊員候補) ロバくんは、愛川欣也さんの 着ぐるみのみで 小さいパペットのは、まだ居ない。
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円谷英二さんの言葉に*「初めは豪華に行きなさい」と言う教えの通り ウルトラQの1月は、怪獣のメンツを観るだけでも実に豪華でバラエティにとんでいます! その1月攻勢最後を勤めるのが、ウルトラQの中でも絶えずトップの人気を誇る 冷凍怪獣ぺギラです。この怪獣攻勢で完全に全国の子供の心を掴んでしまいます。 *以後、ウルトラマンは1話と同時進行に怪獣無法地帯、セブンの湖のひみつ 帰マンの怪獣総進撃、A・TはU兄弟の登場、レオの1.2話と初めに豪華な作品が 置かれる伝統が続きます。 一方、講談社などの*問題などからも苦しいW3は、この日を持ってウルトラQの同枠を撤退 する判断を下す! Qの1月攻勢がもの凄いにしても1月弱でこの判断をすると言う事は ほとんどの数字(子供)がW3からウルトラQに移動した言う事のようです。 W3は、翌週からは月曜日の7:30の放送枠に移動し数字を回復する事から W3自体の問題ではなくウルトラQやQQタイムのパワーが凄すぎたと言う事です。
*W3事件 1965年6月からのフジテレビのアニメ番組に合せて、講談社週刊少年マガジン13号に 連載が始るが、6回で打ちきりになる! その頃、TBSのアニメ「宇宙少年ソラン」も、6月の放送を目指して動いていた… W3の企画時に超能力を持つボッコというリスを考案。しかし「宇宙少年ソラン」に ボッコと似たチャッピーというリスが出ると言う事が伝わる。 宇宙リスは、もともと手塚治虫の虫プロで使う予定だったキャラを盗まれた。 (犯人はSF作家Tだと言われたが、数年後に誤解と解る) W3は、リスをウサギに、カモとウマを加えるなど大幅に変更。 マガジンに「宇宙少年ソラン」も、連載するというので連載中止を手塚サイドは打診するも 森永製菓をスポンサーに持つ「宇宙少年ソラン」は、マガジンのスポンサーでもあり W3(手塚治虫)よりソランを選択した。 それによりW3の連載は打ち切りになり、その後筋書きを変えて週刊少年サンデーに連載される。以後、手塚治虫漫画全集の和解まで長く講談社には書いていない。
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41.5.5木曜日 朝10:45ウルトラQの再放送特番
約4ヶ月も経つと、TBSの看板番組を通り越し~日本中を怪獣ブームの渦に巻き込んだウルトラQは この時期のこどもの楽しみの最高峰になり、3月の銀座松屋、4月の多摩テックに続いて、 5月の向ヶ丘遊園のウルトラQ大会と、怪獣達はイベントに大忙しな状態になります。
其れに応えて5日こどもの日には、ウルトラQの再放送特番を朝10:45から放送します! 放送内容も「ペギラが来た!」「ゴメスを倒せ!」のウルトラQを代表する2大怪獣を選択しています。 日テレは「おはようこどもショー」がまだ白黒で、裏のTBSは手塚治虫の「ビックX」の再放送に、「ポパイ」を連続放送しています。 8時からの「おはよう・にっぽん」も、おもちゃの話と言うこどもを意図した内容でした。 ウルトラQ大会は、裏のこどもの人気番「ロンパー・ルーム に、ぶつけているのが放映時間を早くしている事で解ります。 *ロンパールームが、おはようこどもショーより人気だったのは、この時期すでにカラー放送だった事でも解り カラフルなマラカスバトン、風船ヨーヨー、ギャロップ木馬などの商品の色を見せる意図もあったそうです。 *ロンパー・ルーム・1963年放送開始-20年近く続いた人気番組で、にこちゃんとこまったちゃんの人気キャラを産む♪ にこちゃん人形が売れたことで、各コーナーのアイテムなどが続々商品化され、こども番組には例が無いほどのマーチャンを記録。 「鏡よ鏡よ鏡さん~?♪」の有名な台詞と共に、みどりお姉さん2代目が、ケロンパこと「うつみ宮土理」さんで 後に、おはようこどもショーのロバくんのSアクター愛川欽也(キンキン)と結婚したのは有名です。 Qちゃんも、牛乳を飲むコーナー(今思うと、なんじゃそれ?(^^;)には、コップに牛乳を入れてもらい TVの前で一緒に飲むのが楽しみでした♪
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41.6.2木曜日 夜10:30 大人へのウルトラQ特番
6月2日の夜には「現代の主役」の番組で、「ウルトラQのおやじ」が放送されます。 現代の主役シリーズは、ラテ欄によっては「ドキュメント」としか書かれていないものもある番組で 毎回話題のアーティストや、作家、芸能人などにスポットを当てる大人用の番組でした。 この当時の夜10:30は、外灯も少なければ、コンビニも無く、7-8時には飲屋以外の店舗は閉まる時代なので 平日で、明日の仕事や学校がある日の放送である事からも、大人もウルトラQや怪獣ブームに関心を持っていた… と言うか…取り上げないと、おかしいくらい日本中が怪獣ブームだったという事かもしれません。 ちなみに、この頃のラテ欄は夜11時までしかなく、この日のTBSの最後は0時の映画です。 *ウルトラQを語る文に10:00の放送と記載されてるものがあるようですが、地方では放送が無いとか 日にちが遅れる事はあると思いますが、キー局より早い放送と言のはまず考えられません。
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41.7.3日曜日 夜7:00 ウルトラQ・本放送最終回
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少年キング66年27号より 最近のハリウッド版と比べると…なんとも 愛敬があるマスクですが、当時はコレでも カッコよく、バットモービルと共に人気が ありました♪ 今でも、この頃のTV主題歌?(曲)も 好きだったりします(^^;♪
バットマン・フジテレビ 夜6:30放送
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本放送の流れ的に言えば事実上の最終回「206便消滅す」が、怪獣の出ない 「あけてくれ!」を、再放送で必ず放送すいると言う約束のもと放映されています。 その為か?ウルトラマンもウルトラQシリーズだからか?ラテ欄に「終」の文字は在りません。 番組枠右のW3は、もちろん左の日本テレビも開始時と違い、番組を変更しています。 Qが終る同日のフジテレビ6:00には、後のキリヤマ隊長を演じる中山昭二さんも 出演していた「新・忍者部隊月光」が始まっています。 *新忍者部隊月光の1話は、通し118話ロケット大作戦だが裏のTBSが強く13話で終る。 こども番組の実写モノは まだカラー化が無い中、外国の実写ヒーローバットマンを 4月10日の6:30から放映、コレはTBSが56年から放送したスーパーマンに対して 獲得した作品なので、7:00枠でもいいのだが…月光と共にQQタイムからズラしています。 *スーパーマン・1956~1960年 最高視聴率74.2%の大ヒット番組。 *ジャングル大帝・65年秋からカラーで放送。マグマ大使は3ヶ月遅れの7月4日~
オバQ後の8:00からは「泣いてたまるか」の渥美清版が放送中。 日本テレビの8:00枠には、プロ野球ナイター中継がある。 *この頃の野球は、土日はデーゲーム(昼)が多い。生活自体が昼形で、集客が昼の方があった。 巨人戦などは今はまず無いダブルヘッダーと言う1日に昼・夜2試合が行われたが TV放送は今ほど早く無く、放送延長も無いのでラジオ放送で結末を知る事の方が多かった。 翌週この枠は、公開録画番組「ウルトラマン誕生」が放送される事になります☆
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ウルトラQ以前のこども番組(~ウルトラQ誕生まで)
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月光仮面
月光仮面は、誰でしょう?の主題歌も大ヒット♪ クレジットの役名???にも、名前が無かった。
ナショナルキッド(61)
さらにスーパーマンの要素を足し、スポンサーの イニシャルNを付けたヒーローで 額の丸いランプや、アイマスク、耳形FRPの メットなどは、ウルトラに影響を及ぼした? 使用する光線銃はナショナルの懐中電灯♪
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1958年~1962年☆こども番組の革命!
ウルトラQを、テレビ史的にもう少し引いて俯瞰で見てみると、こども番組のキャラ者としては 1958年の月光仮面にさかのぼります。*それ以前はチャンバラモノの主役がヒーロー 当時は、TVも高級品であり父親の権限がまだ残る時代で、今だと考えられませんがTVに扉が 付いていたり、その鍵は父親しか持っていない家庭や スイッチは父親しか入れてはいけない などの決まりがある家庭があるほどで、子供が気軽に観る番組自体が必要とされて いない背景もありました。 それらの事からも、全体からも子供向け番組は数が少なく 数字も取れない=予算が出ないと言う状態が続いていました。
そのうちの1つ「ぽんぽこ物語」6:00~6:10の短い枠も数字が、出ない事から 幕を下ろす事になりますが、そこに宣弘社が入って大人番組の10分1の10万円の 予算で制作を開始したのが月光仮面でした。*当時の平均制作費30分300万円 局側も、子供にチャンネル権の無い事を考慮していたのは、この激安な制作費からも 解りますが…趣向を凝らし送り出された月光仮面は評判を呼び、無理をしてTVを買った 家庭などは働く事に必死で、子供を遊びに連れて行く事なども出来ない事も多かったので 子供の要求する番組を見せる家庭が意外に多く出てきたそうで、川内康範の連続活劇プラス 推理要素は、帯番組である毎日10分で続くになる紙芝居的な転回で 2月24日に始ったばかりの月光仮面は、7月には映画化されるまでの人気になります。 平均40%最高視聴率67.8%の大ヒットで、空地や風呂屋から、その時間は子供が消えたと言う 子供版君の名は現象が起きた。*君の名は・人気ラジオドラマ全国の女湯が空になった事で有名。 その後30枠に拡大され~59年7月5日まで放送されるが、子供達の月光仮面ごっこが加熱し 怪我をする子が続出、番組への苦情から打ち切りになっていまいます。 *この打ち切りは業界では有名だった為、後に仮面ライダーごっこの子供の怪我が 多発した時は、画面の中で本郷猛ら出演者が注意すると言う趣向が成された。
この月光仮面の大ヒットは、TV業界に子供モノも数字が取れると言う認識に大きく変り 月光に続けと少年ジェット(59)まぼろし探偵(59)七色仮面(59) 快傑ハリマオ(60)ナショナルキッド(61)などが制作され、それぞれ人気をよびますが スタイル的にはマスク(仮面)にマント、拳銃、スクーター(バイク)と言う 月光仮面からヌキ出た者は無く、5年が過ぎて行きます。 技術的な面や、TVメディアのタイアップ方式では、ナショナルキッドはSF性をプラス した本格特撮ヒーロー1号と言えます。 *電気メーカーナショナルが、スポンサーで銀座の自社ネオン前を飛ぶカットが有名でした。
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ウルトラQ放映開始1日前
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アトム・お面以外は復刻品。
グリコ・くっつきワッペン(約4cmサイズ)
のりたまに、同封されていたシール。 同じポーズの赤いエイトマンもあります。 急な生産の為か?裁断がバラバラな 時期があり、逆に丁寧な背景付の カラフルなタイプのシールも在る。 生産が追いつかず、姉妹品のチズハム に、同シールを付属した事もあります。 シール効果で売上が14~15倍になった。
右・エネルギー補給のたばこアイテムを 真似する為に、子供が買った ココアシガレット 1948年~現在も発売される商品 1960年には、不二家からも シガレットチョコレートが発売 次いで中身が、ガムの物も発売 70年代まではペンシル・パラソルチョコ と並んで不二家の主力菓子でした。
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1963年~ スポンサー大革命!
1963年1月1日こども番組とかの枠を越えて、映像業界にも世界的な革命が起きます。 毎週30分もの時間で、放送される*国産初のTVアニメ「鉄腕アトム」が放送開始! 今までは、こども番組は実写がほとんどで、海外の短いアニメは在りましたが 映画館で、年に1.2本ディズニーや東映などのまんが映画(まだアニメは浸透していない)を 観る事は出来ても 制作には大変な時間と手間がかかる事から 週1本などと言う体制(放映)は信じる人すら少なかった。 *短いモノはインスタントヒストリー(61)3分枠で(内容1分)の連続番組は以前に在った。 1966年12月31日までに全193話を放送、最高視聴率40.7%は今でもTVアニメの最高記録。 番組の大成功から、今までの実写キャラと少し違った現象が起きます。 まんが映画の絵が、簡単に商品に使用出来る事や、人(役者)の顔よりも子供に 解りやすい「形」で、いろいろな商品アイテムに印刷し、人気(売れる)が出た事で 1作品から800アイテムを越す商品が発売されました。 中でも、スポンサーの明治製菓のマーブルチョコレートは、アトムシールを入れた だけで(今とシールやオマケに対する子供価値観は、かなり違う) 63年のマーブルチョコだけで、58億円を売る大ヒット!*番組は4年近く続く
この大成功に、関係各社が大車輪で動き出し、西の江崎グリコが同じ少年に連載されていた 人気の鉄人28号を、アトムに続けと10ヶ月後の10月20日からアトムと同じフジテレビで放映!*少年・光文社の人気月刊誌 明治は、アトムの1キャラでの展開は、それほど広げてなくCMも上原ゆかりで 広告などもアトムが載らないか、アトムは上原ゆかりのサブ的な掲載でした。 ところが鉄人28号は、今でもグリコと言えば鉄人と言う人や、歌の最後の グリコ・グリコ・グ~リ~コ~♪まで唄わないと鉄人の歌じゃ無い!と言う人が居るほど 鉄人28号を全面に押し出した商品展開をします。
パッケージなどが出来る前からレギュラー商品の応募で鉄人ワッペンで対応。 グリコのアイスキャンペーン 鉄人28号くっつきワッペンが20円切手とフタなどを送るとワッペン5枚セットが貰えた。 グリコ鉄人28号バー(アイス)*ちゃんとした鉄人のパッケージのアイス。 鉄人28号ダブルバーソーダー10円*上記の商品と同じかもしれません。 鉄人28号グリコ10円(おまけ・日光写真つき) 鉄人28号グリコ(大)20円(おまけ・日光写真つき) *日光写真or水写真のどちらかが入っていた。 鉄人28号グリコ20円(新おまけつき)S39年から グリコ鉄人28号ガム10円(ワッペンいり) グリコ鉄人28号ガム50円(鉄人プリント5枚いり) グリコチョコ10円(ワッペンいり)*箱絵が鉄人でワッペンの種類にも鉄人がある。 グリコ鉄人28号チョコ 鉄人28号ビュンビュンチョコレート15円 グリコ鉄人スタンプチョコレート30円 グリコ鉄人スタンプチョコレート50円(大) グリコ鉄人スタンプと大型おまけいり、お楽しみセット50円 グリコ鉄人28号粉末ジュース20円(ワッペン2コつき) グリコ鉄人28号粉末ジュース50円(ワッペン5コつき) グリコ牛乳(ビンに鉄人の画) グリコトリックアルバム15円 *まだ鉄人の商品あると思われます。*グリコ商品情報協力ぜんまい太郎さま
1つの商品も、おまけの違いやサイズ違いなどバリエーションを作り、店舗のお菓子棚は 鉄人28号で占拠された!が、飛ぶように売れに売れた!そうです。 アトムも、キャラメル、ガム、乳菓なども出し、おまけなどを工夫するが鉄人とグリコのタッグは かなり強力で、こども番組の商品展開をアトムから、さらに進める事に成功しました。 その後アトムは、65年5月4日から放映が始った宇宙少年ソランの「まんがココア」に対して 放映最後の66年に森永ニューココアの缶にアトムを起用!価格も缶150円・箱100円と まったく同じだった為に売れたのですが…アトムの放送の方が66年で終了した為に その後番組のぼくの孫悟空や、ジャングル大帝と言う手塚キャラが、ココア缶も 引き継ぐ事になります。 一方、局的にはTBSもアトムのマーチャン的大成功を見逃す事は出来ず、漫画8マンを獲得。 アニメのタイトルをエイトマンに改名。*この頃はチャンネル番号で局を呼んだ為 鉄人に遅れる事、数日の11月8日から放送開始。大人の人気も獲得して30%以上をキープし 最高35.9%を記録する。 パワーアップアイテムにたばこ形のエネルギーを用意、オリオン(株)のココアシガレットと タイアップが成功!売上が増大しました♪ *タバコ型冷却装置は、厳密にはパワーUPアイテムでは無く、原子炉を冷やす休憩 アイテムだったのだが、ほとんどの子供はポパイのほうれん草だと思っていた(^^; スポンサーの丸美屋食品は、ふりかけのりたまのキャラにエイトマンを起用 シールを おまけに付けると、社会現象になる程の大ヒットで、ガンダムのプラモやたまごっちの ごとく店頭に商品が無い状態になり、丸美屋は店舗ごとの割当て方式にしなければならない程 生産が追いつかず、遂には商品出荷前に倉庫から強奪する事件まで勃発しました。
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主に、三船敏郎を起用したアリナミンAや 女性の肌にいいと言うハイシーAなどの ビタミン剤のCMを、ウルトラ1期で放送。 Qちゃんは、このCMソングを怖がった そうです(^^;>近所の親戚の兄ちゃんY
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お菓子の城を一撃で破壊した怪物番組☆ウルトラQの登場!
63年アトム登場後のこども番組は~65年までの間特撮新番組は、わずか3本程しか無いのに 対するまんが映画は、20本以上の新番組が放送される快進撃です。 その原動力は、マーブルチョコの大ヒット!によるマーチャンのパワーなのは アニメのスポンサーを見るだけで解ります。 この時代やっとこども番組=お菓子会社と言う 図式でこども番組が、テレビの1ジャンルとして確立しました。 その証拠にアトム前のスポンサーを見ると、提供ジャンルはバラバラでした。
一方、特撮(実写こども番組)は、お菓子メーカーはフルヤ製菓が唯一あるものの ヒット商品はありません。 月光仮面(58)武田薬品 ハリマオ(60)森下仁丹 七色仮面(59)カバヤ食品 まぼろし探偵(59)日本水産 鉄人28号・実写(60)日立製作所 マリンコング(60)古谷製菓 まんが映画は、その後狼少年ケン、0戦はやと、ビックX、少年忍者風のフジ丸 65年にはスーパージェッター、W3、宇宙少年ソラン、宇宙エース、オバケのQ太郎 ジャングル大帝と、アトムに続いて変化と大幅にバラエティにとんだ ラインナップで、ブラウン管を席捲すします! 66年1月のウルトラQが登場するまでは…
そんな中のお菓子メーカー不二家のオバケのQ太郎の大ホームランに対して お菓子など食品メーカー以外の番組枠に、局や代理店が摸索する動きが出てきた頃・・・ 特撮の神様円谷英二のTV進出*アンバランスが目にとまります。 内容的に、怪獣やアンバランスな現象がマーチャンに直結する事は
この頃は考えられなかったのですが、まずは改名が局サイドの意向と言うのは有名ですが アンバランスからウルトラQに変更されます。 東京オリンピック中継のウルトラCからとされるのが理由ですが Qの方は解説が少ないものも、編成的に大ホームランのオバケのアニメが理由なのは 明らかで、 大予算オーバー制作費(制作期間)の番組を、なんとしてもヒットさせる 編成の最大限のバックアップがQQタイムでした。 *アンバランス・番組を受ける前の制作会社の付けた題>ウルトラQになる。 *編成(編成部)・どの番組をどの枠にし、提供を何処にするかを決めるTV局の部署(所) *番組と略しているそのものが、本来編成(部)の順番を組む作業の専門用語。
当時はウルトラQ(1期)はマーチャンより、作品自体を海外に売る事で穴埋めする方向で ウルトラQの商品展開は、当時怪獣や怪物などのゲテモノは商品価値はあまり無いとされ ゴジラですら(まだ)少ない。 大人(年齢が高い層)にはまだしも、お菓子メーカーが 対象とするような、こどもには怪獣・怪物の商品展開は無理との考えが強かった。 武田薬品にも、特にこども向けの商品は無く、それ用の新商品なども用意せずに CMも普通の商品しか放送していない。*ウルトラマンからプラッシーを少し押す。 *プラッシー・タケダ系のオレンジジュース、店頭販売ではなく米屋などの配達が主の商品。 ほとんどのウルトラQの商品はウルトラマンになって(制作決定後)からの展開で ウルトラQの企画で陽の目を見なかった対決シリーズを辞め、人気絶頂時にウルトラマンに スイッチした理由も、ウルトラマンの商品展開の数とウルトラQ(単独の)数を比べれば TVと言うメディアとしては解ります。 *ウルトラQは、放送後の反響からゴジラやQ1話のような怪獣対決シリーズを企画していた。 揺るぎなく思えるほどのまんが映画と製菓会社のタッグによる天下も、ふたたび月光仮面の 武田薬品提供枠に登場した、たった1本の番組ウルトラQの1月大攻勢で一機に逆転します! 右も左も怪獣・怪獣の怪獣ブームの到来で、こどもの頭の中は怪獣1色になります。 わずか1月弱で、同時間のライバルアニメを別枠に移動させた勢いは 東映やピープロを動かし、特撮ヒーローの新しい幕が半年後の7月に開くのですが… それはウルトラマンの頃に…つづきます。
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