ウルトラマンレオ

11話・泥まみれ男ひとり

大坂

ウルトラQ

カネゴンの繭

大坂


ケットル星人MAC隊員の攻防の1つが
調布の大坂で撮影されました。
シーン的には逆ですが、MAC隊員が*参った?
カットが、一番解りやすいのでトップにします。


右に見える木の根は、上の当時と8割程同じです。
レオ撮影後に、写真の右側の舗装(セメント)が
道幅拡張され、根の左部分が少し異なります。
写真だと舗装道右にヒビのような感じに
見えますが実際はシッカリとした増筋です。

子供達が祈祷師のオババの家から帰る道でも
大坂が使われています。

子供達は歩いて上から下って来ています。
舗装されてるのは勿論、上の写真向かって右側が
撮影時のS40年から何段階か幅が広げられて
いるのと、道も砂利が敷かれ>舗装されてるので
道路面が上がっていて、平に舗装されています。

 

 
MAC隊員が発砲するカットは、坂の下方向から
上方向に撃っています。

右のカネゴンの時カーブ下方向と近い位置ですが
道幅が、65年とは何段階か増幅されているのが
比較するとよく解ります。


この背景は、道幅増以外は略同じく残っています。

右側奥の竹は65年よりも増えています(^^:

 
カネゴンが、オババの神のお告げを教えてくれよ~。
と、言う後からのカットも、そのまま大坂の切替しで
下方向を撮っていて、子供やカネゴンの比較からも
道幅は下側の方は、かなり狭いのが解ります。
また、奥に見える竹にしては真っすぐな棒状のは
小さな外灯(の柱)です。

下り方向だと向かって左が、広げられていて
道が平に整備されているのも良く解ります。
手前右に大きな電柱が立てられた部分の木は
無くなっていますが、奥の細い外灯は同じです。


ケットル星人が、坂道側の高い木の間に居る所も
在りますが、が育っていて木は見えません(^^:


写真は大坂下側にあるS字で、増幅時にカーブも
軽減されていますが、MAC隊員3人が倒れてる
S字を上から撮影した場所は、上側よりも
幅が増幅されているので、現在のS字では
厳密な場所までは解り難いです。

ウルトラマンレオ

32話・さようならかぐや姫

大坂

ゲンが弥生の家から帰る時に弥生を見つけるのも
同じ大坂ですが、夜間撮影で作中の画に見える根は
複数在り…特定できません…?

かな?と言う上のカットの所(根)です。

弥生が竹やぶ中の閃光に向かって走るのは
坂の下から上方向です。

MACカー(ホンダ・シビック)が夜来るカットです。
大坂の上から下方向に向かって来ます。
今の増幅から考えても、当時シビックでも坂上に少し
入れただけで、坂下方向が狭いのでバックしてる
かもしれません(^^:

 
うるさいな!!と、カネゴンのクチのチャックを
閉じる場面の左は、*平に近い傾斜が在ります。
*根が無い箇所で上の土が崩れてる。


この上のカットの部分左を観ても、道を広げていて
平に整備してるのが解ります。

大坂(おおさか)

 調布若葉町三丁目

 特徴を簡単に言うと凹型の道の左右に根が
露出してる道で、北側に竹藪が多く隣接しています。

鎌倉道、昔、狛江側から甲州街道に出る主要道で
国分寺崖線を上下する急な*大坂だった。
*当時の感覚で、今でも小型車がやっとな幅で昔は
牛車や籠が、人とすれ違い通れ他よりも大きいかった。

それでも、明治に野菜出荷の荷車が頻繁に通るが
難所で知られ、昭和初期に拡幅、緩勾配工事が行われ
ています。
その後は舗装されレオ後に更に増幅されています。

時代や年代で長さは、坂上・坂下の開発などで
異なりますが、約120~150mの曲がりくねった
高低差約5mの坂です。

また周辺には、似た木の根道に北に在る木村坂
熊谷坂などが残り、開発され解り難い所では
南に在る、七曲がりの坂新左衛門の坂
四中西の地蔵坂などが在ります。(ました。)

現在は雑木林の道 調布若葉町コースNo.3と言う
コースの中に在り
東京都環境局の保全活動で保護されています。

大坂上から少し東に大木に挟まれ、文化九年1812年に
建立された*庚申塔(こうしんとう)が在ります。
坂や道中の供養の意味も在りますが
前・玉川 府中 道、右・江戸道、左・井のかしら道
と、掘られているので、この場合道しるべでもある。

SPECIAL THANKS 情報協力 メトロンハート様

 

     

 

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