ケットル星人とMAC隊員の攻防の1つが 調布の大坂で撮影されました。 シーン的には逆ですが、MAC隊員が*参った? カットが、一番解りやすいのでトップにします。
右に見える木の根は、上↑の当時と8割程同じです。 レオ撮影後に、写真の右側の舗装(セメント)が 道幅拡張され、根の左部分が少し異なります。 写真だと舗装道右にヒビのような感じに 見えますが実際はシッカリとした増筋です。
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子供達が祈祷師のオババの家から帰る道でも 大坂が使われています。
子供達は歩いて上から下って来ています。 舗装されてるのは勿論、上の写真向かって右側が 撮影時のS40年から何段階か幅が広げられて いるのと、道も砂利が敷かれ>舗装されてるので 道路面が上がっていて、平に舗装されています。
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MAC隊員が発砲するカットは、坂の下方向から 上方向に撃っています。
右のカネゴンの時カーブ下方向と近い位置ですが 道幅が、65年とは何段階か増幅されているのが 比較するとよく解ります。
この背景は、道幅増以外は略同じく残っています。
右側奥の竹は65年よりも増えています(^^:
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カネゴンが、オババの神のお告げを教えてくれよ~。 と、言う後からのカットも、そのまま大坂の切替しで 下方向を撮っていて、子供やカネゴンの比較からも 道幅は下側の方は、かなり狭いのが解ります。 また、奥に見える竹にしては真っすぐな棒状のは 小さな外灯(の柱)です。
下り方向だと向かって左が、広げられていて 道が平に整備されているのも良く解ります。 手前右に大きな電柱が立てられた部分の木は 無くなっていますが、奥の細い外灯は同じです。
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ケットル星人が、坂道側の高い木の間に居る所も 在りますが、草が育っていて木は見えません(^^:
写真は大坂下側にあるS字で、増幅時にカーブも 軽減されていますが、MAC隊員3人が倒れてる S字を上から撮影した場所は、上側よりも 幅が増幅されているので、現在のS字では 厳密な場所までは解り難いです。
ウルトラマンレオ
32話・さようならかぐや姫
大坂
ゲンが弥生の家から帰る時に弥生を見つけるのも 同じ大坂ですが、夜間撮影で作中の画に見える根は 複数在り…特定できません…?
かな?と言う上↑のカットの所(根)です。
弥生が竹やぶの中の閃光に向かって走るのは 坂の下から上方向です。
MACカー(ホンダ・シビック)が夜来るカットです。 大坂の上から下方向に向かって来ます。 今の増幅から考えても、当時シビックでも坂上に少し 入れただけで、坂下方向が狭いのでバックしてる かもしれません(^^:
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うるさいな!!と、カネゴンのクチのチャックを 閉じる場面の左は、*平に近い傾斜が在ります。 *根が無い箇所で上の土が崩れてる。
この上のカットの部分左を観ても、道を広げていて 平に整備してるのが解ります。
大坂(おおさか)
調布若葉町三丁目
特徴を簡単に言うと凹型の道の左右に根が 露出してる道で、北側に竹藪が多く隣接しています。
鎌倉道、昔、狛江側から甲州街道に出る主要道で 国分寺崖線を上下する急な*大坂だった。 *当時の感覚で、今でも小型車がやっとな幅で昔は 牛車や籠が、人とすれ違い通れ他よりも大きいかった。
それでも、明治に野菜出荷の荷車が頻繁に通るが 難所で知られ、昭和初期に拡幅、緩勾配工事が行われ ています。 その後は舗装されレオ後に更に増幅されています。
時代や年代で長さは、坂上・坂下の開発などで 異なりますが、約120~150mの曲がりくねった 高低差約5mの坂です。
また周辺には、似た木の根道に北に在る木村坂や 熊谷坂などが残り、開発され解り難い所では 南に在る、七曲がりの坂、新左衛門の坂や 四中西の地蔵坂などが在ります。(ました。)
現在は雑木林の道 調布若葉町コースNo.3と言う コースの中に在り 東京都環境局の保全活動で保護されています。
大坂上から少し東に大木に挟まれ、文化九年1812年に 建立された*庚申塔(こうしんとう)が在ります。 坂や道中の供養の意味も在りますが 前・玉川 府中 道、右・江戸道、左・井のかしら道 と、掘られているので、この場合道しるべでもある。
SPECIAL THANKS 情報協力 メトロンハート様
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