光跡★
関東のデータにて構成・左よりNHK1・NHK3・日本テレビ4・TBS6・フジ8・NET10・東京12チャンネル12
NET>現・テレビ朝日 東京12チャンネル>現・テレビ東京 ラテ欄の見方>TBSの1つ右はフジテレビ、1つ左が日本テレビ
昭和44年→1969年 昭和45年→1970年 昭和46年→1971年
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NET>現・テレビ朝日 東京12>現・テレビ東京 *1975年前は系列局が整備されていない為○○TV系も控えます。
1つ前の再放送の光跡1では、少し駆け足でウルトラに絞って再放送とウルトラファイト>帰ってきたウルトラマンまでを UPしていますので、少し戻って文字だけでは無くて他の作品や社会現象からも 帰ってきたウルトラマンへの当時の流れをラテ欄と共に紹介します。
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▼玩具・レコード・本・他Qちゃん私物 44.1.3金曜日 夕方5:00 夕方の変貌とカラーテレビの普及!
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この年7月に向けて カラーテレビの広告に使われたのが アポロの月面着陸でした。 この人類の新しい1歩を見ようと カラーテレビが、少しずつ売れ始めます。 *実際には月面からの画像は 白黒だったのですが(^^:
ラテ欄で遡る理由の1つに、 当時の内閣府のデータでも1969年に大きく 普及して来るのがカラーテレビで カラーが当たり前の世代には ピンと来ないでしょうけども 1968年のカラーTVの普及率は 白黒が96.4%に対しわずか5.4%でした。 ですが、1969年には倍以上の13.9%に 上昇し~、帰ってきたウルトラマン放送の 1971年には、半数近くの42.3%まで 急激に上昇します。
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帰ってきたウルトラマンの放送から遡る2年と少し前の同枠金曜よる7時のTBSは ザ・モンキーズ(30分)が放送されています。 ロックバンドのザ・モンキーズ(モンキーズ)のアメリカのドラマで ザ・モンキーズショーを、吹替えで放送したモノで「声」と ラテ欄に書かれてるのは、その為です。
夕方の子供番組は、6時に「*宇宙少年ソラン」が観られる程度で 当時はマンやセブンなども含め1~2社が、子供番組の再放送を入れる程度の時間帯でした。 *再の文字は無いですが本放送は1967年3月に終了しているので再放送です。
1968年(1月なので)の大学で初任給が約3万円の時代、上の広告の右の機種の価格が 17万2千円と月給の5倍以上でした。センターの小型の機種でも9万9千円と 3倍以上で、カラーテレビは高値の憧れな家電でした。
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44.1.4土曜日 夕方5:00
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当時のトリスコンクは、キャラクター商品 では無く、ケロヨンが従来の商品を宣伝し 効果を上げるタレントぶりでした♪
今の相棒の右京さんです♪
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この頃は、お正月で子供用の正月特番と言うのは制作されていませんが 翌日土曜日は平日よりは、日本テレビの木馬座と遊ぼうは再放送では無いので お正月を扱った内容で放送しています。
フジテレビは、今よりも子供番組を扱う度が高くて日本テレビやTBSよりも 少し規模の小さい局でも在ったので、6時にマッハゴーゴーゴーの再放送を ケロヨン(木馬座)の裏に入れています。 5時には前作が日本を舞台にした007だったのと、1969年に新作が公開される からか? 映画「007のすべて」を放送しています。が「映画」とラテ欄に 書いて在るのも、TVより上に見る傾向の残りで、今の映画特番の意味です。
7時のバンパイヤは、手塚治虫原作(出演)の実写とアニメを合成した作品で 1968.10.3~1969.3.29まで放送された作品で、今では水谷豊主演なのと 当時の虫プロの様子が解るので、合成技術と共に貴重な作品として有名です。
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44.7.21 月曜日 本物の特撮? 宇宙生中継の謎
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売れると安くなるのは、この当時も 同じで、3万円代で買えるカラーTVも 発売され、アポロと共にカラー化の 普及に拍車を掛けます!
ハンディタイプ小型テレビも 室内アンテナで人気になります。 おそらくQちゃんの周辺だけでなく 発射後、宇宙からの生中継をとのコピーで 電気屋さんが忙しくなりカラーテレビを 21日までに着けて欲しいと 多くの人が殺到したようで 友達の家にもカラーテレビが来たと 御祝い(今からすると家電で御祝いって) したのも覚えてます(^^:
7月25日には、アポロ11号が 無事に月から帰る様子が放送され 月の石を御土産に帰った事で 大坂万博の大きな目玉となり 日本のカラーテレビ普及率と共に 高度経済成長の波が大きく TVや子供達にも影響し
特にカラー化の普及は、民放CMに 大きな影響を与える事になり ネビュラ71遊星の金色のヒーローや 赤い目に赤いマフラーのヒーロー 我らがウルトラマンを呼び戻す 事に、繋がっていきます☆
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ウルトラ作戦第一号放送から、ちょうど3年後1969年7月17日、アポロ11号が飛び立ちます。 幼くても覚えてる人も多いかと思いますが、なんだか社会(大人が)の 雰囲気が違うのは感じつつも、ロケットの打ち上げは Qちゃん的にはウルトラマンやセブンでも見てたので…興味が凄いある訳でもなく 時差の関係で、子供は翌朝に本物の特撮?を見るはめになりますが… なかなか…30分番組のようには(録画放送なのに)飛ばないアポロと 爆発してしまった(と、思った人多かったと思う(^^:)爆炎の中から ゆっくり飛んで行くロケットは、なんか特撮より驚きと光が綺麗だったとしか 記憶していませんで、月に向かってるとかも聴いてたとは思いますが…認識できてなくて この時点ではロケット=飛ぶものでしかありませんでした(^^:
この日、世界中のTVはアポロが月面着陸する様子を放送していました。 全人類が集中した出来後としては、後にも先にもコレより凄いのは…今のとこ無いと思います。
しかし、21日の着陸の日、ラテ欄は左から日テレ・TBS・フジで NHKは、勿論昼の12~17時まで通しでヒューストンからの衛星中継を放送と なっています。…が、あまりQちゃんは着陸瞬間の映像より 宇宙服の人の画の方しか覚えてないのですが…それも其のはずで
着陸予定が早まり、着陸自体が日本時間で早朝の5時11分~12分 アームストロング船長とオルドリン操縦士が、月面を歩いたのが 日本時間では、リアルタイムで7月21日午前11時56分~からです。
ラテ欄だと朝の7~8時からしか予定していないのですが、着陸時も実際の放送は 予定(ラテ欄)とは違っていたようですが、まだ新聞を見てない(見るどころでは無い?) ので、68.3%もの数字も深夜0時から~何時に着陸するのか解らなかった数字です。 ただ外部にカメラが無いので、映像がある訳が無いので着陸の画は存在しません(^^:
そして人類が月面に立つ瞬間も、NHKの当時の番組では12:11分くらいに モニターの絵?のようなモノで着陸の瞬間を放送し、月からの送信電波を 画像にするのに時間が掛かったようで、あの有名な画像を見たのは約12:36分過ぎでした。
月からNASA約1.3秒~掛かり、ヒューストンから日本への送信時間差は除いても 多くの人が生だと思ってた11時56分の瞬間を、12時36分過ぎだと…生中継なのか? よく解りませんが、当時の技術で最短なら…それは衛星中継の数秒の誤差と同じく40分は 宇宙からの生だと思うのが正しいのかもしれません☆
光跡的には、当時の特番で渋谷の五島プラレタリュウムで観てる人達も中継されました☆
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44.7.24 木曜日 TBSの看板
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昭和46年TBSというよりも6チャンネルの イメージポスターです。帰マンは ちゃんと、きくちさんが入っていて 当時の撮影の様子も記憶されてました。
ハッスルパンチ番組は白黒作でした。
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TBS夜8時の肝っ玉かあさんは、当時1968年~1972年まで、長く放送されたVTRドラマで 30%を超える事もある局の看板番組で、主演の京塚昌子さんは日本の母と言われる程でした。 2年後には我らがウルトラマンとTBSの2大看板として宣材写真が撮影されています。←左 子供でも7:30からのジャンケンケンちゃんから、続けて見ていた人も多いかもしれません。 夕方6時のウルトラセブンは毎週木曜の再放送で地底GO!GO!GO!の回ですが「!」を 全て入れているのが凄いです(^^: 肝っ玉かあさんの人気に対抗する為に、日本テレビはキックボクシングを入れています。 NET(現・テレビ朝日)の7時は、今のリメイクの残るクイズタイムショックをカラーで 放送していますが、夕方の5:37ハッスルパンチは白黒の再放送でした。
ハッスルパンチ1965年11月1日~1966年4月25日東映動画 アニメーションの神様森やすじさんの原作のアニメ作品。 神様森やすじ・宮崎駿、高畑勲らの先輩師匠のような存在。 この頃のNET(現・テレビ朝日)は、前身的な日本教育テレビの色を残していて 今のEテレ的な要素もあり、良質なアニメを白黒でも時期的に放送しています。
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44.7.24 木曜日 スポ根ブーム
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牧圭介、後のUGM大山キャップです。 男の子ですが、サインはVも アタックNO.1も見てました(^^:
原作梶原一騎で1967年から 連載された漫画の実写化で 脚本にも佐々木守さんや 上原正三さんが参加して いた地獄車などの特撮を 使った技も多く登場しました。
あしたのジョーは個人的にも 特に週刊漫画の競争の為に過激な アクションを本編に入れては 居ない漫画だと思いますが そのジョーでも、表紙では 目を引く画になっているのが 高度経済成長に激化した 週刊漫画雑誌の1面です。
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TBS夜7時は、週刊少年キング連載漫画が原作の実写柔道一直線を放送。 仮面ライダーの平山亨さんや、ウルトラシリーズの橋本洋二さんが関係していた事から 後の2号ライダー佐々木さんが風祭右京役で出演していて、ウルトラマンA12話にも 主役の桜木健一がゲスト出演しています。平均20%台の人気番組でした。 同・TBS7:30のサインはVは、後にウルトラマン80でキャップになる 中山仁が、牧コーチとして出演している実写スポ根ドラマです。 ウルトラ世代的には、コーチがキャップになったんですけども(^^: フジテレビの7時もスポ根アニメ女子バレーボールの「アタックNO.1」を放送。 7:30からは後にハイジやフランダースの犬を放送する枠でムーミンを放しています。 スポーツモノや、子供にやさしいアニメは放送しやす時代でした。 NETは6時にプロレスとキックボクシングを続けて放送、7時のアップダウンクイズは 22年も続いた人気番組ですが、コレも仮面ライダーと同じ系列ネットの腸ねん転で TBS(系)で見てた人もいるはずで、75年4月からは関東もTBSで放送されます。
TVのカラー化が進と、白黒の再放送で数字が良くないモノから姿を消して行ます。 スポンサーも同様に、時代的なイメージから白黒番組よりもカラー番組を 希望するようになっていきます。 実写ドラマなどのカラー化は、カラーフィルムを使えば衣装や背景に 色が無かった訳ではないので難しくは無く、コストUPもそれなりでしたが アニメはカラーも既に放送されていましけども、カラーで制作するとなると キャラも背景もカラーで描く事になり、白黒30分で約250万円が、カラーだと約540万円にも 跳ねあがってしまいました。
そこでオリジナルよりも、漫画原作のアニメ化の方が人気度の計算がしやすい事から 原作モノの率が上がりますが、週刊漫画雑誌が100万部を超えてきた頃で、各社の競争から 過激な描写が特に劇画に増え、その批判がPTAなどから起きるのも重なり スポーツモノと言う枠に逃げ込む傾向も、ブームの後押しをします。 特に暴力描写は、1連載に何回殴った、蹴ったと言うようなデータ取りまでされる為に 格闘(スポーツ)技と言う大義を盾にした感も垣間見れます。 勿論、この頃プロレスやキックボクシングの人気は、テレビでも凄くあり その投影が、アニメやブームに入り込むのも必然とも言えます。
スポ根と言うのも、死語かもしれませんので一応「スポーツと根性」の略で この時代、今だと考えられない根性で勝つとか、水を飲むのも根性が無いとか 鍛える描写=うさぎ飛びだったりと、今からすると強引な根性とスポーツを 題材にしたスポーツものがブームなっていた時代です。
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45.4.1 水曜日 あしたのショー
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1970年5月8日・399号
スポーツ根性番組大特集の表紙に ジョーが起用されています。 夢の対決や、梶原一騎の特集も 掲載されいます。
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1970年4月1日フジテレビ夜7時あしたのジョー放送開始! 虫プロとしては、手塚治虫原作は少なかったのですが、方向転換時期に 後のガンダムで有名な富野由悠季(まだ富野喜幸)なども演出に参加して ボクサーまでの数字は高くは無いですけども、ジョーの成長と共に数字も上がり20%以上を コンスタントにキープ、最高29.2%を記録し当時のスポ根の中でも、マンガアニメ的なジャンルでも 年齢の高い層を獲得した作品でした。ジョーも商品化は少なくとも、されたアニメでしたが スポ根は関連玩具や文具商品は売れないと言う面も、明確になって来た頃でした。
同・局6時のハリスの旋風の再放送は、同じ原作マンガ家作品としての編成で 後に、1971年から国松さまのお通りだいと題名を変えて虫プロで再アニメ化する作品です。
あしたのジョーの裏は、プロレスの放送が入っていますけども国際プロレスで 当時の、馬場・猪木の日本プロレスとの差は大きく、猪木の国際プロレス入団計画は頓挫しましたが TBSでもプロレスをとの事から、68年団体名も一時「TBSプロレス」に改名 TWWAプロレスとして中継した時代で、日テレの日本プロレス中継や NETのワールドプロレスリングがカラーでも、長く白黒の放送でした。 記録では4月22日(4月13日開催北九州市録画中継)からカラーになっていますが ラテ欄には既にカラーと在ります?
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45.4.13 月曜日 赤き血のイレブン・ブースカ再
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少しは見ていて「パス」と言う言葉は 初めて、この番組で覚えた気がします。 ですが、実際には友達とは野球や キャッチボールで、サッカーボールを 持ってる子供も、ホントに少なかった 時代だと思います。
まだ巨人、大鵬、卵焼きの時代です。
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夕方6時15分、現・テレビ東京で快獣ブースカの再放送が、マンガのくにの前に入ります。 それは日テレのチビラくんが3月30日開始に先行て夕方の再放送*から少しズラした放送でした。 *チビラくんは朝の8:05~8:20に放送し、夕方に其の再放送が在った。 フジテレビのピンポンパンも同じ同日再放送。 赤き血のイレブンは、サッカーモノのスポ根アニメで、あしたのジョーと同じ原作梶原一騎でしたが 格闘技では無く、球技としては野球人気が凄くて裏のキックボクシングや ひみつのアッコちゃんは女の子向け作品でしたが、人気が高く、平均19.8%最高27.6%もの 視聴率をキックボクシングと被らない作品内容で、文具やレコードなども売れた作品でした。 Qちゃんも、サンダーバードでは無くアッコちゃんの方を見てました(^^:
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45.4.23 木曜日 スポ根ブーム
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スポ根ブームで、マスコミモノが 売れなかった中でタイガーマスクは 唯一キャラクター商品でヒットを 飛ばします。 ですが、70年10月~番組の数字は 10%台に落ちて、1桁が続く事も 多くなってしまいます。 内容やアニメの質とは別に キャラクター性がタイガーの他 敵キャラの魅力が薄く、ソフビも 主役プラス初期の数体が売れるに 留まってしまいますが、この時期の 要素を盛り込んだ作品としては もっと評価されて良い作品だと思います。
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前年69年10月2日から、意地悪ばあさんの後枠に日テレが編成したアニメ タイガーマスクは、巨人の星と同じく実在の選手が登場するアニメで プロレスやキックボクシングの格闘とスポ根ブームを合わせ持っていました。 スポ根ものは、必殺技など現実離れしたアイテムは在るもののキャラが弱い面が在るので 開始当初はタイガーが悪役で在るなど、ヒーロー要素が薄い展開でしたが 黄色い悪魔から虎の穴との戦いに移行すると、数字も20%を超え~70年には25%も超えて来て 本当のプロレスの数字を上廻り人気番組になります。 マスクですが、見てる子供が正体を知っている点は変身モノでもあり 後に、悪から孤独に敵の組織と戦う仮面のヒーローに通じる部分もありました。
この時期のカラーアニメは、エンディングのアニメにはシンプルな動きで レコードのB面曲を使い尺を得たり、1枚画にズームで寄るなどの 製作費を抑える工夫をしつつ、質を落とさないように務めた事は 後々のテレビアニメや、特撮番組の製作にも影響と功績をもたらします。
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1970年3月15日~9月13日 大阪万博
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万博を頭にしていますが アポロのプラモの写真だけで 最下部に万博のパビリオンや 太陽の塔のプラモのイラストで 発売予定と載せています。
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大阪万博開催!1970年3月15日か~9月13日183日間の日本万国博覧会、通称大阪万博は アジア初の万博で66年のウルトラマン、怪獣殿下を見ても解るように 何年も前から日本中からの期待が集まった、国家的な大大イベントでした!
この時期の日本人が、三波春夫さんの「世界の国からこんにちは♪」を どれだけ聴いているのか解らない程で、老若男女、ポチもタマも、とにかく万博、万博で テレビも連日アポロの月の石の話題や、各パビリオンの科学万能な未来を映し出していました。
Qちゃんも、母の実家が大阪だったのもあり2回ほど連れて行って貰いましたが 人、人、人でもの凄かったですけども、疲れもせず? 子供に媚びたモノが在る訳でもないのですが、楽しい想い出になっています。
この万博までに見る、ウルトラマンのビートルや流星バッチ、ウルトラセブンの ポインターやウルトラホーク、ビデオシーバーは、本当に輝いて見えたアイテムでした! 小松崎さんが雑誌の表紙や巻頭に描いたような、海底や宇宙に無限に広がる未来や サンダーバード、スーパージェッタ―のような世界が 大人になったらやって来ると信じる事が出来ました☆
ですが…万博が終わると、急激な高度経済成長のつけが回ってきます。 公害問題です。各地の海が埋め立てによる被害がニュースになり 東京湾も、ハエの増殖でハエ取り紙が足りない事態に、スモッグや排気ガス 川の汚染、子供にも社会の暗い影を隠す事が出来ない程の社会問題になります。
その頃、遠く離れたネビュラ71遊星(栄スタジオとも言う。)では公害もテーマの1つに 超能力のサイボーグの準備が、翌年1月の放送に向けて進められます~☆
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45年9月28日 ウルトラファイト
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インパクトの在るオープニングと 音楽で、知ってる怪獣なんですが 今日は何だろ?と言う興味を 抱かせ、プロレス調の実況が 独特の味を出していました。
この頃の詳細は
「再放送の光跡」を見てください。
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一方、万博が終わった頃、夕方のTBS枠で1つのミニ番組の放送が開始されます。 タイガーマスクの敵キャラのインパクトに反して、番組が終了して数年経っても 子供が離さない敵キャラ玩具の怪獣達が、マルサンからブルマァクに引き継がれた型から 再び売れ出した事で、再編集したウルトラマンとウルトラセブンが夕方に放送され ビデオやDVDなどのソフトが無い時代の子供達には嬉しい番組でした。 動てる怪獣やウルトラマンを見るのは単純に嬉しい事で、話題になり駄菓子屋や おもちゃ屋さんに、細々と売られていたカードや玩具が徐々に賑やかになって行きました。
6時のフジテレビ再放送のマグマ大使は、栄スタジオにエネルギーを送っています。
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46.1.1 第二次怪獣ブームの年!
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後に帰ってきたウルトラマンでも登場する二子玉の高島屋ショッピングセンターの広告です。 1969年11月にオープンした日本初の本格的な郊外型ショッピングセンターです。
この年、多摩ニュータウンの入居が始まり、マクドナルド日本第1号店がオープン カップヌードルが発売され、東名高速が全線開通し、日本人のライフスタイルが更に変わり 経済成長が加速していきます。
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46.1.9 宇宙猿人ゴリ
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わんぱくイルカと、してますが こどもでも解る…玩具です(^^: ですが、ボードゲームのバンダイ から電池やモーターを使う玩具の ヒットは、変身ブームの憧れの玩具や ポピーブランドへ繋がっていきます。
スペクトルマンは、御存じのように 3つもタイトルが在る番組で 当初は宇宙猿人ゴリのタイトルで 放送されました。 が? ウルトラファイトの前くらいには 視聴率確保の激化から 子供番組の情報も雑誌などに 子供向けの掲載も盛になっていて ウルトラファイトもスペクトルマンも 放送開始を、教えて貰っていましたが スペクトルマンは、始まる前から スペクトルマンと言ってましたし 翌日も「スペクトルマン見た?」 と話してました。 もっとも、宇宙猿人と言う漢字が 読めない年齢でしたが(^^:
1970年4月3日 1970年2月27日
アオシマのプラモデルの広告も スペクトルマンを現した面白い レイアウトで、センターに写真の スペクトルマンが居ますが 左上には、タイトルの宇宙猿人ゴリ の商品、右上も宇宙猿人ラー1号 その下にスペクトルマンの商品が 掲載されていて、何故かスーパーマンを 挟んで、怪獣は商品化に間に在ってない 写真2つを丸で大きく載せていてます。 更にスペクトルマンを5000名に プレゼントするキャンペーンを展開していて その人気の急上昇加減が解ります。
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日テレ5時30分にはチビラくんが土曜も放送してるのが解ります。 TBS6時のわんぱくフリッパーは、アメリカのドラマでフジテレビで67年まで放送していた 再放送ですが、玩具が売れ続けていた為か、局を変えて再放送しています。 日テレの6時35分からは男どアホウ甲子園は、ウルトラマンの脚本でも有名な佐々木守さん原作で 漫画を水島新司さんが書いた漫画からのアニメ化で、アニメも佐々木さんが脚本や歌の作詞に 参加していましたが、話がシッカリしているので、逆に月~土曜日の10分枠での 放送だった切れ切れな放送では、内容マッチ出来ずに…あまり話題になりませんでした。 フジテレビ6時55分のカバトットは、タツノコプロの5分アニメで 月~土曜で、全548回も放送されグッズも多数販売された人気番組でした。
日テレ8時は謎の円盤UFOが放送されてましたが、もう69年秋から放送の TBSの土曜8時だよ!全員集合の人気が凄く、70年12月に45.7%~71年1月には 50%を超える大人気な為に、この時間は他局が…まったく太刀打ち出来ない状態になっています。
気ずいて解ってる世代も居ると思いますが?なんで宇宙猿人ゴリの2話のラテ欄なのかと言うと 1話はウルトラQと同じ1月2日だった為に、この頃は新聞が休みだったからです。 *もう少し先になると、新聞は休みでも2日~4日分のラテ欄が入るようになります。
スペクトルマンが始まった印象は、写真は見てましたが設定などは、まったく知らないので セブンみたいなランプが額に在る正義の味方くらいにしか思ってませんでした。
番組の開始も覚えてますが、円盤が現れ~なんとなく暗い画面に音楽、ゴリラが動いてる 怖い感じ…円盤が富士山に? !!! タイトルと共に軽快な音楽に転換♪ スペクトルマンの登場で、まんまとピープロの演出にドハマリした子供でした(^^:
ただ、公害Gメンは科特隊やウルトラ警備隊からしたら…かなり頼りなく 蒲生譲二も、ハヤタの3枚目な部分と初期のモロボシ・ダンより軽く大丈夫なのかな?と言う 設定にも…まんまとハマって応援してしまう事になります(^^:
ですが、スペクトルマンの着地した所は…とんでも無い場所でした。
それは日テレの「巨人の星」の裏に降りてしまった事で、30%超えの大ヒット番組とも 戦う事になってしまいます。コレが…後々の大きなブームを呼ぶ起爆剤になるのですが…
巨人の星の凄さは、当時のテレビガイドの表紙で見ると、その時話題の芸能人が 飾る事が殆どで、アニメはアトムやオバQなど例外的には在りますが スポ根ブームで70年前後には表紙を飾る時期が少しありました。
それでも1回でも飾れば凄い方で、タイガーマスクが2回表紙になりますが 巨人の星は5回(内1回は南海の島本選手と写真で共演)も、表紙になる超別格な番組でした。
が…、宇宙猿人ゴリは初回8.3%と10%にも届きませんでしたけども 巨人の星も、この頃には20%台前半を維持してる状態でしたが、ゴリの1回目の裏で 71年1月2日は19.8%とわずかですが、10%台に1本だけ落ち込みを見せます。 直ぐに次が20%台に回復しますので、日テレも一安心したと思いますけども
子供達は宇宙猿人ゴリと言うタイトルや暗いオープニングに戸惑いながらも、やはり待っていた! 見たかった怪獣とヒーローの番組だと、ジリジリと巨人の星の数字を喰いはじめます。
ゴーゴーゴーゴーゴーゴー!
一番驚いたのは、フジテレビでしょう4月3日巨人の星は、今度は18.6%に落ち 翌週も17.5%と下がってしまい、ついに4月10日放送の第15話(宇宙猿人ゴリ1~20話)で 巨人の星を抜いたと言われています。 数字は公表されてないようですが、巨人の星は翌4月17日に更に16.8%に 24日には15.5%と下がって行き、20%台は最終回に唯一記録しますが それまでは全て10%中~前半が多いので、抜いたのも事実でしょうし 1話の時とは違う、確実に子供達に指示された事を証明してみせてしまいます! 同時にスポ根ブームは終焉を向かえます。
その「4月」超えを、遠くM78星雲から後押ししたヒーローが居ました。
1969年4月28日に印刷された企画書続ウルトラマンをベースに、ピープロとフジテレビのゴリが 本格的になると、準備期間は短いものの、ついにウルトラマンが動きだします。
71年2月6日本多組クランクイン、4月の放送に向かい懸命の撮影が続きます。 同時に生田の奥ではオートバイに乗ったヒーローがベルトの風車にエネルギーを蓄えはじめます。
スペクトルマンを皮切りに怒涛の怪獣・変身ブームがテレビ界を席巻 キャラクタービジネスが、視聴率の%よりも大きな経済効果を産みだす事になります☆
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ウルトラマンが帰って来る?☆メディアミックス
*帰ってきたウルトラマン>意図が無い場合は単に略文字として帰マンと記載。
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冒険王はスペクトルマンをメインに この71年の11月に講談社からテレマガが 創刊され、ウルトラ以外の子供番組が 集結します。 *ウルトラマンは小学館との契約時期。
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この時代(時期)は、今のテレビマガジンや、てれびくん、テレビランドのような 子供のテレビ番組中心の雑誌は無く、各出版社のマンガ雑誌をホームにしていました。 ウルトラや帰マンが学年誌(小学館)なら、スペクトルマンは冒険王(秋田書店)を 中心に展開していました。と、言うか…スペクトルマンを先頭に、帰マンが更なる起爆剤になって この頃の子供達の熱狂で、テレビ界にコレから起こる大ブームから誕生した雑誌が テレビマガジンらを産出します。 バンダイグループのポピーも、このブームのヒーローアイテムで キャラクター玩具の専業の会社として、多く子供達に知られる事になります。 その事は、スポ根ブームと違って、キャラクターの方が玩具やグッズが売れる事を 確実に証明して見せてしまいました。 それは、CMが資金源の民放各局がヒーローモノに注目せざる得なくなり 「怪獣やヒーロー」が、大きな産業になっていきます。 テレビマガジン創刊1971年12月号~(11月発売)講談社 テレビランド創刊1973年2月~、徳間書店 てれびくん創刊1976年6月(5月1日発売)~、小学館 |
3月号まではウルトラファイト 4月号で、初めて新ウルトラマンの ニュースが掲載されます! …表紙の帰マン横はガボラですが(^^:
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学年誌(小学館)3日ごろ発売・地方で異なる。東京は1日には並んでる所が多かった。
3日ごろ発売・地方で異なる。東京は1日には並んでる所が多かった。 宇宙猿人ゴリが、巨人の星の数字を抜く4月から1ヵ月ほど戻ります。 当時としてもニュースとしては少し遅いのですが、新しいウルトラマンのニュース!を 多くの子供達が知ったのは、46年3月の頭に発売された学年誌の4月号でした。
それより前は、小学館もウルトラを扱えるようになっていますが、どの学年・幼年誌も ウルトラファイトの人気で、怪獣やマン、セブンの扱いだけで、新年号でも Q、マン、セブンの怪獣と、ウルトラマン(初代)のみで、新ウルトラマンや、新怪獣は無く 1971年(S46年)3月号までは、怪獣は初代ウルトラマンの怪獣です。 2月発売の3月号一年生では、ウルトラファイトのウルトラセブンの写真が表紙に使われ かいじゅういけどりゲーム(ゴモラやガマクジラ他。初マン怪獣)が、ふろくでした。 なので、2月に帰ってきたウルトラマンの事を知っていた子供は略居ないに近いはずです。 クランクインが2月6日ですから、当然なのですが…
そのニュースが3月発売の4月号にズレたのも、マーチャン的に 主役のウルトラマンのデザインが変わった事が大きな原因ですが、雑誌メディアでは その「ちがい」を、逆にポイントとして子供達にアピールしています♪ ただ当時のこどもとしては、違う(別の)ウルトラマンだとかには、ウルトラ兄弟の概念が無いので あまり関心が行ってなく、新しいウルトラマンの番組がはじまると言う ニュースの方が大きな存在で、略それだけで一杯でした!(^^:
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4月号・マットメカや、帰マンは絵で紹介 4話~の5大怪獣も絵で紹介されまた。 唯一、変身モデルのウルトラマンは 写真ですが…裏焼きでした(^^:
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4月号では、まだ新スーツが間に在ってないのか?絵のみの紹介でマットのメカも絵でした。 コレも次世代の人に聴かれますが?マット=防衛チームと認識するのも、1話を見てからで 雑誌の記事は覚えてないと言うより、関心が略新番組に行っていただけだったんだと思います(^^:
写真で、怪獣やマットの隊員などを見てれば…もう少し意識したと思いますが 飛行機も…絵のようにMATのマークも無く、特撮のメカとしては印象薄だったと思います。 この1ッカ月は製作スタッフも必死だったと思いますが、子供も待ち遠しいのMAXで 帰マン38話で、初マンとセブンに助けて貰いますが、既に宣伝の少なさ、弱さは 子供のイメージとしては、初マンとセブンで補う事で助けられています。
今思えば、ウルトラマンやウルトラセブンは、テレビの前に座らせて貰って見ていたくらいで 自分で時間や曜日を意識して見る初めての*ウルトラマンとしては、事前情報や写真が無く 秘密が多くてよかったのかもしれないとも思います。 少し上の世代もカラーTVで本放送を見る 初のウルトラマンが帰マンだと言う人も多く居ました。*ウルトラファイトや再放送は除く。
ですが、この1ヵ月間は近所のお兄ちゃん達の学年誌を、駄菓子屋、神社、銭湯(脱衣所)、公園 おもちゃ屋などで、本当に紙に穴が空くくらい何度も見た1ヵ月間でしたが… よく飽きずに、毎日何時間も見てたと…思います(^^:
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冒険王でしか見れない特写やポーズも 多く掲載されました。
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冒険王 毎月6日ごろ発売。*地方で発売日が前後した。
1月から放送開始した、宇宙猿人ゴリは前2月号はゴリとラーが表紙でしたが 当然のことながらスペクトルマンが表紙に加わり、数字の上昇に合わせて 内容やふろくにも力が入って行きます。 巻頭カラーも怪獣やスペクトルマンの写真や、能力やひみつが毎号特集され こどもにとっては、まだ放送前の(撮影中)の怪獣が観れる唯一の媒体でした。
ただ、まんが雑誌なんですけども、表紙はスペクトルマンの写真が独占状態が この先~続き、ふろくや夏休み大増刊号など、読者のスペクトルマンへの関心度の高さと 反応の大きさが解ります。
何故か?スペクトルマンがアイスラッガー?のポーズにしか見えない 写真も在ります。…いろいろポーズを要求され癖で出たのかもしれません(^^:
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まだ仮面ライダーは …名前も姿も謎のキャラでした。
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ぼくらマガジン 月刊ぼくらを週刊にした漫画雑誌。
一方、仮面ライダーも、ぼくらマガジンにテレビに登場と3月には公表していますが ・・・帰マンと同じく絵でも、何だかも解らないので…特に話題になっていませんでした。 この点は、初ウルトラマンやウルトラセブンが、すでに子供の中に居るのと違い 不利な点だったかもしれませんが、スペクトルマンのようにウルトラマンと比較される 特撮ヒーローでは無く、軽快で、テンポとリズム、スピードを武器に スペクトルマンの真後ろに、走り込んで来ます! その仮面ライダーを(少なくともQちゃんが)知るのは4月に入ってからでした。
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46.4.2 帰ってきたウルトラマン
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何かが光り出した瞬間…の感覚も、鮮明に 覚えています。どんだけ集中してたんだ?オープニングの背景と、影絵の消え方! 主題歌も意外な印象で…と、行っても何か 想定してた訳では無いんですが(^^:
20円
今でも集中して見るとロッテの 帰マンフーセンガム・チョコの味や 当時の雰囲気が蘇ります(^^:
序でに書くと、セブンもこの時は まだ兄弟でも無く、単独の作品なので セブンのオープニングソラリゼーションの 1つに集中したり、影絵からの インスピレーションに集中すると 単独作品だった頃の雰囲気、味?が 蘇りますし、作品内容が変わってる訳では 無いんですが、この頃までのセブンの方が 独特の作風と雰囲気が在り好きです。 文字や言葉で伝えるのは難しいですが ウルトラ世代は解る感覚かもしれません。
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先週の事も忘れてますが、今でも1期のウルトラマン、ウルトラセブンを見てる時の記憶や この帰ってきたウルトラマンが、帰って来る日の事は何故か?昨日の事のように覚えています。 その日は、学校に行ってるお兄ちゃん達もソワソワしている感じで、駄菓子屋や、公園で 何度も「7時と6チャン」と聞かせられ、アポロが月面着陸する時のような緊張感が在りました。
そんな日でも、光速エスパー、チビラくん、ウルトラファイトを見て ごはんも食べて、少し前(5分前)には、テレビの*スイッチを入れて貰います。 *何故か?夜は、まだスイッチは入れて貰っていました(^^: 不思議かもですが?(^^:当時はカラーテレビに足が着いていたり扉が在ったり ブラウン管が布で覆われ大事にされた高級家電だった時代です。
なぜ少し前か?解らない世代の為に書きますと、この時代のテレビはスイッチを入れても 直ぐに画面が映らず(特に切ったままの時間が長いと)に、音が出てから…しばらくすると 画が、ゆっくり映ってくる感じだったので、それもお兄ちゃん達に注意されていた事でした。
キラキラな音♪と、揺れながら光り浮き出て来る「ウルトラマン」の文字は 綺麗でしたが意外でもありました。…特に何も予想してたわけでは無いのですが(^^: それまで*何度も何度も見てるウルトラマンや、ウルトラセブンのオープニングとは まったく違ったのに単に驚いてるだけなのかもですが、嬉しさが混じって わけが解らなくなってたのかもしれません(^^: 因みに「帰ってきた」の文字が、その後出ますが…「帰」は、まだ読めませんでしたけども 読めるとは別に、そう書いて在るのは解りました♪(笑)…怪獣総進撃はルビに救われます(^^:
*Qちゃんの場合、夏休みと年末年始を大阪で過ごしていたので 東京でマンやセブン・再が終わると、今度は大坂で始まるったり、その逆に 東京に戻ると、また始まるなど、1箇所に居るよりも2倍まで行かないまでも 1.5倍以上は再放送を見ていて、既に大阪は午前の時間帯に子供番組の連続放送を行っていたので サンダーバードやジャイアントロボなどもセットで多く見ています。 玩具やお菓子なども実験的に先行発売していたので、東京の友人には驚かれました。 また、万博の影響で街の進化も凄く自動改札なんかも万博前にすでに在りました。 東京では80年代後半まで、駅員さんがカチカチカチと鳴らしながら鋏で切符を 切るっていましたから(^^: 大阪万博の影響の大きさは会場外にも広く続いていました。
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本物の?を見て、子供に人気だったのは タッコングで、アーストロンよりも話題の 中心でした。レッキングよりもピグモンに フォーカスするように、ウルトラワールドの子供層の厚みは帰マンでも健在でした☆
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視聴率は26.4%を記録、30%前後をイメージしていたそうですが 1期の頃とは時代も違うので、金曜日(当時は週1の休みが普通)なのも 特にマイナスには作用していない数字だと思いますし、内容も準備の時間が もっと欲しかったそうですが、当時の子供からしたらスペクトルマンと違い マットは公害Gメンよりシッカリしたメンバーで、光線銃や飛行機も在り特撮も桁違いでした。
違うウルトラマンか?は別にしても、スペシュウム光線と言う決め技を もう子供達は知っていると言う強みも在って、アーストロンを仕留めた技に 翌日は、何人の大人がピーーーーーーーーーー!と、撃たれて、やられたフリをしたか 解らないくらいの、興奮状態でしたが…Qちゃんの廻りだけかな?(^^: しかし、夕方になると…、なんだっけ?と言う「番組」を見るように上からの指令がきました…
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46.4.3 仮面ライダー放送開始!
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風の力で変身する、仮面ライダー NET系列ですが、腸ねん転時期で ネット数も少なく、苦戦する。
小学館や秋田書店に対抗して 仮面ライダーを応援する ぼくらマガジンですが、数字の 伸び悩みに、主役の大怪我と 大ピンチのスタートでした…
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ウルトラマンがブラウン管に帰ってきた翌日、まったく聞きなれない&見なれないヒーロー番組が 宇宙猿人ゴリの後に始まるからと、よく遊んだKくんのお姉ちゃんに、帰りぎわにも 再度言われたのもよく覚えています。
スペクトルマンを見おわり、ちゃんと10チャンネルに廻してましたが、仮面?宇宙人なのか?… ほぼ無知識で見る事になりました…一言で言うと「怖い」と言うのが一番で、防衛隊も出てこない… でも不思議な事にキャップが出ていた事が救いでしたが、よく毎週、その後も見たな~?と 自分でも思うくらい怖かった印象で…翌日も話題にもなりませんでした。
宇宙猿人ゴリのラテ欄に、子供に見えない上西さんの名が在るのも驚きでスペースも数字の御蔭です。
数字も1桁の8.1%のスタートで、本当に徐々に徐々…少しずつ数字は上がりますが なかなか20%には届かず、13話のトカゲロンと怪人大軍団で旧1号最高の18.0%でした。
ただ、少し仮面ライダーに有利なミラクルがTBSに起きています。 人気大絶頂の8時だョ!全員集合が*終り、新番組クレージーの8時だョ!出発進行がこの日始まります。 時間帯は違いますが50%を超えていた全員集合を見ないと月曜日の話題に乗り遅れる為に 子供達は何とか見せてもらおうと、スペクトルマンと全員集合の間に 夕食や宿題をしていた子も多く、全員集合が仮面ライダー開始と同時に無くなっているのは 当時の子供の生活上で意外に大きな事でした。 *8時だョ!全員集合は1985年9月28日まで、とぎれなく放送された印象の方も居ると思いますが この年の4月3日~9月25日はクレージーの出発進行を放送 その後同枠で再開されるので、71年10月後の全員集合!は厳密に言えば帰ってきた全員集合!です。
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大大ピンチを救った高額電動玩具 他社から出ていたベルトに光と回転の ギミックを加えて販売し大ヒット! ベルトのエネルギーで、20%どころか 30%も超え、変身ブームを巻き起こす 事になります。
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仮面ライダー2号? 変身前・変身後も「変身」してしまう番組的には 大大ピンチに起死回生の作を投じます。まるでパーマン?のように2号って 驚く子供に、お見せしたのが…「変身」ポーズでした!それが大大ピンチから転じて 大逆転に繋がるのですが…まだ2号になっても20%に届くには少し時間が掛かります…けども
数字よりも凄い事が起きます。現在も続く原動力・玩具史に残る「電動変身ベルト」が大ヒット! 玩具ジャンルにベルトと言うのが無いに近い時、当時の価格で1500円と高額でも380万個も売れた。
結果、日本を代表するヒーローが存続できるか?の大ピンチを救ったのは子供達でした☆彡 バンダイの駄玩具のブランド「ポピー」の名前をも全国に轟かせる事になり、その後2つの 社会現象を起こしますが…それは、またの項で~☆
帰ってきたウルトラマンも、ウルトラセブンの登場などを加え20%前後~25%前後をキープし 玩具やグッズの販売も好調で、右肩上がりの人気でしたが 銀色の仮面と、鏡のヒーローが、第2次怪獣ブームに加わって来るのに対抗する作戦 ウルトラの星作戦を開始しますが、それも、またの項で~☆
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46.4.4 柔道一直線・最終回
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佐々木剛さんは、ライバル風祭右京を演じ 八代 悠から佐々木剛への芸名を 改名した作品でした。
森次浩司さんはボウリング部のコーチ 高峰明久を演じました。 それがレオに繋がったかは?
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少し仮面ライダー放送開始翌日に戻しますが、4月4日日曜日ウルトラファンには他の枠とは違う 想いが在る日曜よる7時のTBS枠「柔道一直線」が、92話で最終回を向かえています。
もし、平均で20%を超える柔道一直線が延長していたら?仮面ライダー2号は、佐々木さんでは 無かったかもしれませんし、その前に、柔道一直線の多くのスタッフが仮面ライダーへ 移行しているので、放送日は違いますが柔道一直線の終が仮面ライダー(生田スタジオ路線)の 誕生・スタートを意味するので触れて置きます。
その後の7:30からは美しきチャレンジャーが放送開始 モロボシ・ダン役の森次浩司さんが、メインレギュラーで出ているボウリングブームのドラマです。 が、小さい子供や男の子は特に当時見てた人は少なかったようです。 この日は日テレに、本物のブームの主役中山律子さんが出てると大人はボウリングゲームの番組を 選択していましたし、他の局もボウリングやキックボクシングを放送しています。 Qちゃんも、フジの後のハイジやフランダースの犬の枠、アンデルセン物語を見て居ました(^^:
この時期の日曜よるは、こどもにはフジテレビに略固定状態で6時・7時枠の他局は こども番組としては諦めている感があります。 6時のいなかっぺ大将も、タツノコプロとしては珍しい吉田さん以外の外原作のアニメでしたが 学年誌の表紙に毎回使われる人気番組で、後の同原作・川崎のぼるさんの てんとう虫の歌のアニメを経てオリジナルの一発寛太くんに繋がるズッコケ路線の元になります。
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46.4.11 ガッツジュン
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進藤茂役で出演していた篠田三郎さんは 打ち切り後、次番組シルバー仮面に スライドキャストされる事になり その後、ウルトラマンタロウの主役 東光太郎を演じる事になります。
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翌週、柔道一直線の後番組として野球モノの「ガッツジュン」が始ります。 製作も東映のこのスタッフの多くは仮面ライダーに行くので宣弘社製作へバトンタッチします。 もちろん、ガッツジュンを放送準備段階では、巨人の星がスペクトルマンに 数字が抜かれるとは、誰も想像出来なかった事ですが…、ガッツジュンは人気は出ず 略一桁の数字で、後半10%台前半を少し記録するに留まります。
スポ根ブームの終を、もう少し早く察知していたら…この時期のこの枠に シルバー仮面が入って居たら?大きく変わったかもですが…帰マンとダブる方も 要ますし、ウルトラマンタロウにも影響が在るので…これで良かったのかもしれません(^^:
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本当の帰ってきた~帰マンのマーチャンダイジング・イベント
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毎月付属した学年誌のふろく 怪獣ミニ図鑑
8月1日~11月30まで二子玉園で 開催されたウルトラ怪獣退会
ブルマァクは商品内に宣材ミニ ポスターや商品リストを入れ 番組で流れるCMにも帰マンや 怪獣、特撮も使用しました。
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帰マンは3話までは20%を超えていましたが、20%前後~10%後半を上下して伸び悩み… 1期の30%のイメージがある事からも、夏休みの18話でついにウルトラセブンを登場させます。 が、いきなりは数字には現れず、セブン登場の18話は報道番組の不運もあり16%で… 8月は19%を超える事はありませんでした。 帰マンも…ウルトラセブン本放送後半で、数字が下がって行った事を想像しうる状況でした。
1期と違うのは、スポンサーの1社提供では無い事でしたが、結果的にはコレが幸いして行きます。 当時としては複数スポンサーの番組は、あまり良くない格下な認識が在りましたけども… そんな事は子供達には、まったく関係なく街には沢山のウルトラマングッズが、あふれ返ります!
本屋にも小学館の宣材が沢山あり、学年誌や幼年誌意外にもマン、セブン、帰マンの本が増えて お菓子もスポンサーのロッテの商品、靴も月星が透明のブリスターで発売する新しい販売方法で 帰マンの靴を売り出し、プラモ、駄菓子屋、玩具店やデパートにと凄い勢いでした。
小学館は、学年誌他で更に帰マンの特集や新怪獣の紹介に力を入れ 毎回、帰マンや怪獣の別冊ふろくを着ける事で雑誌の売り上げもUPします。 夏休みには二子玉での大きなイベントを仕掛けたり、デパートでも販売イベントを展開します。
…すると9月の2周目から20%を超え出し、25%を再び超え始めます。 編成的には帰ってきたウルトラマンが、再び帰ってきた!ような1期には出来なかった結果を出し 帰ってきたウルトラマンは、セブンのように下降せず、2度と10%台には落ちずに 逆に、30%に迫る勢いを取り戻します。
特にマーチャンでもメインのソフビ人形は、帰ってきたウルトラマンだけでは無くて マン、セブンの商品も先に応援しに来ていて、1期の怪獣も再び買って貰える現象が起きます。 おもちゃ屋の前を通る度に、新しいポスターや販促物があり、次々と新発売が続きました! 結果、全51話で41種のスタンダードサイズが発売、子供部屋にはブルマァクの販促ポスターが貼られ ウルトラマンやセブンも、1期当時も考えられないサイズ違いが1キャラに9種類ものソフビが 発売され、怒涛の発売体制ににキャラの方が追い付かず ジャミラ、ザラブ星人、シャプレー星人、ヘドラなど、過去の未発売の怪獣も商品化される 異常な販売事態は、社会的な現象・第二次怪獣ブーム!になります。 そして、ついにスポンサーからの予算増で、秋の製作時から帰マンは 新怪獣(宇宙人)が2体ずつ登場する回を増やす異例の放送体制になります!
アニメで原作の話数に追いつくとかは、時々ありますが…商品化に追いつかないので キャラを増産するなんていう事態は、空前絶後…おそらく この時の帰マンにしか無いのではと思います。
ですが、この秋のマーチャン結果・現象を他局や他の会社が黙って観てる訳はありませんでした。 12月と1月の玩具販売が最も高い時期の前に、2つのヒーロー(怪獣)番組を フジテレビと宣弘社・TBSが、準備に入ります。
帰ってきたウルトラマンも、コレに対抗する切り札ウルトラの星作戦を企画ウルトラ3兄弟の共演を 前半のメインライター上原正三さんが、大人の事情も絡めて執筆する事になります。
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46.11.15 刑事くん・ウルトラファイト再
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当時の刑事モノの常識を 壊した熱血根性物コメディで マンAの北斗のアクション他と 重なる部分も多い。
再放送は5:40に移動。
カバとトットのドタバタ短編ですが 玩具やシャンプーなども発売された。
手を広げてるのが「おれゴリラ」 「おれ!ゴリラ」と言うので 名前?も、おれゴリラと呼ばれた。
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TBSよる7:30は、9月6日~東映の「刑事くん」を放送中です。 柔道一直線の主役・桜木健一さんの主演する刑事ドラマで ウルトラファンには、後にウルトラマンA12話にゲスト出演する*佐田刑事を演じた 桜木健一さんかもですが?大人気ドラマで最高25.7%を記録し、*1976年11月まで続きます。 *刑事くんがウルトラマンAに出たというのが当時の感覚です。*5部は主役交代。
企画がライダーの平山亨で、TBS側はウルトラの橋本洋二 脚本に、佐々木守、市川森一、長坂秀佳、田口成光、小山内美江子、阿井文瓶 レギュラー出演も、係長・名古屋章、同僚刑事・宮内洋(名前も風間義勝)生花店店員・関かおり ゲストにも中山昭二(9)西恵子(12)高峰圭二(23)団次郎(2部)と特撮ファンには 特撮で無くても見たくなる?スタッフ・キャストで 若手刑事=走るシーンというのを定番にした番組でもあります。
TBSのウルトラファイトは、同年9月に終わってますので帰マンの援護に5:40へ移動して 再放送をしていますので、後々のウルトラファイトの放映時期に 疑問を持った当時世代も居るかと思いますが、帰マン後半に夕方に見たウルトラファイトは 再放送で、夕やけロンちゃんまで再放送が無いと言うのも誤りです。
フジテレビ6:55の枠はフィリックやマイティ・ハーキュリーなどの帯番組を 日本のタツノコプロが製作するようになり、カバトットは短編ですが548回も放送され マッハGOGOGO以後製作されていなかったSFシリアス路線の復活のエネルギー原にもなり 翌年タツノコプロの代表作、科学忍者隊ガッチャマンが誕生します。
6時台の12チャンネル(現・テレビ東京)のキッドボックスと言うのは 当時世代には直ぐに解ると思いますが「まんがキッドボックス」の略で 内容は海外の短編アニメが主でしたが、明治製菓の提供でおれゴリラくんが オープニングと終りに登場する番組でした。 もちろん本物では無く、ゴリラではなくてサルだと思ってた人も居るくらいで(^^: 犬小屋のようなBOXの前で、ポーズしたりCMでパフォーマンスをしてました。
このまんがキッドボックスと、まんがくには関東の6時代の定番番組でした。 *ハンナバーべラのアニメが主で、クマゴロー、ラムジーちゃん、 シンドバッドの冒険、チキチキマシン猛レースなど
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ヒーローショー・カルビー仮面ライダースナック発売!
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口座開設で貰えたソフビ貯金箱 開設しなくてもシールが貰えた。
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2号ライダーに替わり数字も徐々に上がり15%を超えてきますが…まだ数字には波があり 仮面ライダーは夏休みに、等身大とアクションを活かしたヒーローショーを展開! …すると、ついに9月に20%を突破!、10月には25%を超えてきます。 その人気に、仮面ライダーのスポンサーカルビーが1971年末に関東地区に カルビー仮面ライダースナックを発売。 勢いも流れも止まらず、仮面ライダー1号藤岡弘が復帰、72年の正月スペシャルとして 桜島大決戦を放送、30%を超えてしまいます!
ライダースナックも直ぐに全国展開に切り替え、1972年の2月には たった1日で100万袋を売る人気商品になり、15か月間で6億2000万袋を売って 約87億円を売り上げ社会現象を起こします!
こども達のたった20円(時期で少し変動)のおこずかいがTVヒーロー・キャラを絡めると 経済的に大きいとなると、銀行が仮面ライダーやミラーマンなど口座開設で こども向けのソフビ貯金箱を配る現象まで起き、変身ヒーローブームは更に加熱します。
明治も、パイゲンCと、アイスに仮面ライダーのワッペンと立体ワッペンをあたりで 貰えるキャンペーンを展開します。
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46.11.17 気になる嫁さん
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1971年10月6日~、アキちゃん…榊原るみさんは、日テレドラマの主役に抜擢 帰マンの出演尺が少なくなり、こちらに専念しています。 本放送では、まともに見てませんが「新・オバケのQ太郎」の後なので 少しだけ観れてしまっていました(^^:
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46.11.19 怪獣使いと少年
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ふろくはウルトラマンげんとうきと 別冊怪獣おしゃれりゃくがブックと ウルトラマンがW付録です。
12月号別冊ふろくのウルトラ怪獣ブック
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帰マンは9月後~勢いを増し25%超えを連発、グッズの販売も好調で特撮も他との格の違いは 明らかでしたが、坂田兄弟の2名の降板が迫る前に意欲的な試みの作品を10~11月に送り出します。
怪獣使いと少年についても、次世代の方に聴かれますが…当時の年齢も在るかもしれませんけども 特にMATが略出てない事すら気ずかないくらいのレベルでしか見てませんで 翌日も、それらが話題になった記憶は無いです(^^: 数字も翌週下降どころかUPしてますし、他局も子供番組をぶつけてさえ来ない時期でした。
日テレの8時プロレスもは、まだBI砲(G馬場・アントニオ猪木)が 見れた時代で、ブルーノ・サンマルチノがトップです。
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46.11.28 シルバー仮面・放送開始
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朝刊ラテ欄横に掲載された写真・記事
この画は後のジャイアントのカラーが 入っていますが、番組や数字だけを 考えると、コレくらい赤が最初に入って いた方が良かったのかもですが… それくらいの差では無いですね。。。
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TBS日曜よる7時シルバー仮面放送開始。 ガッツジュンを1週早く打ち切り、当日の朝刊ラテ欄横にも写真入りの広告を入れての 第1話「ふるさとは地球」は、14.6%を記録します。 当時のゴールデンタイムで、日曜のベストな枠としては少ない数字でした。 しかも、1週早めた理由でもある円谷プロのニューヒーローが、来週は半分以上も その数字を持って行く事になり6.2%まで落ち込む事になってしまいます。
シルバー仮面の放送開始ニュースも同・月頭くらいに知りましたが あまりピンと来ないまま…1話を見た記憶があります。
確かに、今、見直をすと画面も内容も暗いですが…仮面ライダーのように 怖くは無かったですけども、こどもには防衛チームや*メカも無く、変身アイテムや 必殺技も無くて、格闘もウルトラファイトの新撮のような長廻しで よく日も、とくに話題になりませんでした(^^: *光子ロケットは活躍せず。
それどころか、翌日に知ったのは*遅いニュース「ミラーマン」が、来週始まる方が 話題としては大きかったです。(^^: *ミラーマンは、当時学年誌ではマンガ(後にNG版と言われる)のヒーローと言う認識から 実写特撮で放送される事にピンと来てなかった。
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メディアミックス・ミラーマンというヒーロー
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スーパージェッタ―の久松文雄 ウルトラまんがでも御馴染みの 中城けんたろう、いいだひろ詩(上)らが 1969年9月~1970年3月に 小学一年、二年、三年生に連載した。 *小学3年は1月まで。
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放送開始前の「ミラーマン」と言うヒーローは、まんがで知ってる子供達と ブルマァクのソフビや印刷物などの販促物に載ってる青いウルトラマン?的な 認識だったりで、放送後のイメージとは異なったヒーローでした。 等身大のヒーローと認識していた子供も多い存在で、巨大化もしますが タイガーマスクのように、プロレスのリング上で戦ったりするなど特撮的イメージが薄い 話も多い、まんがのヒーローでした。
上は悪役レスラーと戦うミラーマン。(中城・画)G馬場など実在のレスラーも登場した。 今はタイガーマスクは、ヒーローモノよりも格闘で語られるキャラですが この時期は仮面ライダーも円谷プロも、そのヒーロー要素に注目しているのが解ります。
当時世代でも知らないとか、ブルマァクのポスターなどで見た くらいの印象の子供も多く、*ジャンボーXと同じ連載学年誌の 世代か、兄弟、などが居ないと知らないくらいの存在でした。 その為、知らない人が着けたのか?よく通称でNG版だとかプロトタイプなどと 言われますが、厳密にはマンガ版と言う方が正しいとは思いますけども TVのミラーマンのマンガも在るので…同名キャラなので区分上難しい状態です。。。
左・ソフビはブルマァクから発売されていたミラーマンです。詳しくは玩具の光跡へ 足の裏には円谷プロとブルマァクの文字しか無い。 小サイズのバンザイ型ソフビも発売されていました。 また学年誌では後にウルトラ2期の定番応募商品のピンバッチも作られています。
*ジャンボーXは↓メディアミックス・ウルトラの兄弟参照。
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46.12.5 ミラーマン・放送開始
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カード
まんがとは違う特撮ヒーローとして 登場したミラーマンの鏡や水を使用した 変身は、帰マンの危険になると 変身するのとは違って、子供達は真似する 事が出来たので、公園や空地などで ミラースパーク!が連発された。
変身やクチが出たマスクも、子供には カッコよく映らなく、格闘も生過ぎた シルバー仮面は2月から巨大化しました。
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シルバー仮面が放送を1週早めた翌週、日曜よる7時の真裏の枠に 円谷プロのニューヒーロー、ミラーマンが登場します! アタックNO.1から引き継いだフジテレビの枠はミラーマンから、男の子路線枠として 定着し、次作マジンガーZ、グレートマジンガー、グレンダイザーへと続く 男の子向け玩具のマスコミ商品のメイン枠に育ちます。
ミラーマン第1話は、シルバー仮面が14.6%から6.2%にまで下がった以上の 27.1%を記録!それは脚本などを別にして大人向けのドラマに ウルトラファイトの新撮的な格闘シーンを入れたシルバー仮面とでは 見た目でも圧倒的な差で、まだMATのような戦闘機も無いものの ミニチュアワークに、火薬・操演、仮面ライダーのような空中回転の身軽さ ウルトラマンを上回る光学合成のオンパレードで、子供が…どちらを選ぶかは 明らか過ぎる内容差でした。 その為、シルバー仮面は1クール待たずに、シルバー仮面ジャイアントへと 大きな変更をする事になります。 製作的にはミラーマン1~2話辺りで既に決断してるとくらい早い変更で ジャイアント後は、数字を分け合う状態になりますがミラーマン優勢は続き シルバー仮面は2クールで終了。アイアンキングへの準備に入る事になります。
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局と製作とスポンサーのメディアミックス
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両者の応援に忙しい帰マン(^^:
各社の宣材にもヒーローが忙しいく 怪獣も商店街やデパートなど 販促に使われる時代でした。
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放送枠としては、タケダアワー(武田薬品)と大塚製薬が日曜7時に並んだ時間帯なので 帰ってきたウルトラマンの人気は、圧倒的で安定していたので TBSとしては、シルバー仮面の応援にと、メディア用の撮影を行い 小学館・円谷プロとしては、ミラーマンと帰マンの宣材写真を撮ると言う この時期、帰ってきたウルトラマン的には板挟みな状態が起きてしまいます(^^:
左下・オロナミンC大塚製薬の看板は、当時の子供で飲む子は少なかったと思いますが? このホウロウ看板は、嫌でも目に入るくらい商店街や店舗などに在った時代で こどもが飲むと言うよりも、大人もTVを観ていた方の使用なんだと思います。 同・看板にはミラーマンの他にバカボンの絵が入ったバージョンもあります。
ブルマァクの宣材は、帰マンに続いてウルトラセブンもサイズ違い、マスク取れなど のソフビや関連商品を多種販売、ミラーマンのソフビも様子を見て2種販売すると、好調で 後に、ミラーマンだけで7種も追加販売する事になります。 この帰マン時期の販売の凄さに、ブルマァクは新社屋を建設! ブルマァク新社屋 帰マンとシンボルマークの闘牛の金の像の記念品まで作られました。
左下・宣材ハガキでは「怪獣のともだとはともだちです。」と言う解るような…解らないような 深いのか?浅いのか?のメッセージと共に、*ミラーマンがセンターを飾っています。 *次作・ウルトラエースへの移行が在った事から、この時期帰マンよりも ミラーマンを大きく扱っているケースが多い。
帰マン、ミラーマン、ウルトラセブンはブルマァクからも発売されましたが シルバー仮面は、*主にバンダイ(まだ大きく無い)が発売しています。時期的に変更に 対応が間に合わなかったのか?クチ出しと、ジャイアントの混在のようなタイプと ジャイアントが発売されていますけども、等身の黒ラインのシルバー仮面は 無かったと思います。*タカトクなどからミニサイズが販売
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46.12.17 ウルトラマン夕日に死す
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9月からの高視聴率に、学年誌の顔 少年・少女の前に出てきてしまう!
12月発売の1月号でも帰マンが前で 顔の大きさも少年と変わらない。
毎号のように付く別冊ふろくでは ミラーマンやシルバー仮面との比較や TVでは解らない凄さや、新怪獣の 情報が伝えられた。
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ラテ欄的には、5時40分のウルトラファイトに続いてウルトラセブンは 6時に既に助けに来ています! コレは上の方に書いたカラーテレビが各家庭に入り、他の番組も殆どが カラーと頭につくような放送状態になって、帰マン時期にウルトラセブンのカラーを 初めて見たと言う方も居るように、意外(今では意外では無い)にも Q、マン、セブンの過去の人気怪獣や、ウルトラセブン商品が再び売れだした事で セブン9種、ウルトラ警備隊員(新)シャプレー星人なども発売する事態に 対応した再放送でマーチャン的には、ただの再放送とは違う放送でした。
この頃、スペクトルマン、帰ってきたウルトラマン、シルバー仮面、ミラーマンが揃い 第二次怪獣ブームと言われ、玩具メーカー的にはXマス・お正月戦線に向かう前に 各作激戦でしたが、ウルトラマンにしか出来ない切り札を切ってきます。 初代ウルトラマン、ウルトラセブンの共演をTV画面で実現させると言う夢の企画です。
今では複数のウルトラマンが1つの画面に収まるのは、珍しくは無いですが 当時世代は、セブンが十字架に囚われても、帰マンが夕日に死すと言われも… この回が最後かもしれない? 初代ウルトラマンがゼットンに倒されて帰ったように お別れかもしれない恐怖があり、それは再放送やビデオ・DVDのように先の話数が まだ在ると解って観るのとは、まったく違って超ウルトラに真剣視聴する時代でした。 多分・ワールドカップの数倍の集中力で見ていたと思います(^^:?
で、なんで37話なの?初マンとセブンが出るのは38話ですよ!と言う方は 多分DVDなどで見た世代かもしれません。 そう…この翌日18日に子供達が話した瞬間最大視聴率のポイントは「次回予告」に 登場した、ウルトラセブンと初代ウルトラマン、3人の飛ぶ姿でした! 帰マンを、どうやって救うのか?と言う話題だけで1週間が長くもあり 短くもあった不思議な1週間でしたが、大人は、またその話か?と思うくらい ずっ~~~と1日中、3人共演話は続き、翌週38話は最終回に次ぐ29%の視聴率で ウルトラセブン参上!の16%を、大きく上回りウルトラの星作戦は大成功します☆
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メディアミックス・ウルトラの兄弟
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ウルトラマンの兄弟として紹介された。 ゾフィーだけはイラストでした。
ほんとうの兄弟では無いと書かれていますが コレが認識されるのは、タロウの時でAの頃は 殆どの子供は5兄弟は父の子供で、兄弟だと 思っていたと思います。
ウルトラマンとウルトラセブンの間が ジャンボーXで、アボラスのサイズ感や 怪獣が喋る事などは…御愛嬌(^^:
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帰マンの頃に、最後に書いて置くべき事として、ウルトラの兄弟とウルトラ兄弟の 事が在ります。 第4研究所に書くべきかもですが、帰マンの頃にはメディアミックスが1期より 大きく濃く起きてるのも特徴なので、こちらに書きます。
ウルトラ兄弟の起源を、時々次世代の方に聴かれますが… 一応、帰ってきたウルトラマンの開始説明では初代マンと、新しいウルトラマンは 別キャラと言う説明が必要だった為、しばらくは其の事が書かれます。 1クールから~2クールに入る頃にQ&A方式で、ウルトラ4兄弟の事が書かれています。 ですが、子供達に浸透し認識されたかと言えば… 略知らないに近い状態だったと思います。
当時のゾフィーの説明は、よく初代ウルトラマンが倒れた時に駆けつけたと 書かれていますが、そのままの絵なのが凄いです(^^:*左上
其の後、帰ってきたウルトラマン後半でウルトラエースの企画が進行すると この時点で、ウルトラ4兄弟は実の兄弟では無いと言う記事も出さています。 ですが、コレも…浸透せず、多くの子供が知るのは帰マン最終回の説明から~ 認識するのは、ウルトラAの放送前に出された記事と、ウルトラマンA1話での 5兄弟勢ぞろいで認識されたと思います。
もう1つは…帰マンの頃の最後に、帰ってきたウルトラマンが始まる1年前に 初代ウルトラマンやウルトラセブンには、別のウルトラの兄弟が居ました。 それが、上のメディアミックスでも少し出て来たジャンボーXです。
ジャンボーXは、1970年4月~に小学1年生で連載された漫画です。 少年が変身するヒーローで、ウルトラセブンの弟と言う設定の為 この段階では、帰マンの前に居たセブンに続くヒーローでも在り 作中でもセブンやウルトラマンとウルトラ怪獣やオリジナル怪獣と戦っています。 *ソフビも2サイズが、ブルマァクから発売されていました。 *マンガとは下半身の色が違い、細部の形状や彩色も異なります。
ジャンボーX まもるくんが腕をXにすると変身し、ベルトからなんでも溶かす光線を出し 腕をV字(Y字)にすると、どこまでも体が大きくなります。 確かに、よく見ると首から後頭部にウルトラセブンのプロテクターと同じ形状の モノが在り、オレンジのアイスラッガーのようなモノを頭に乗せていて ひし形のビームランプを額に備えています。 後のジャンボーグAの元と言われる事が多いですが、顔と名前が少し似てる くらいで、セブンの弟である事など内容や設定は、かなり異なります。
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年明け昭和47年(1972)1月発売。
3月発売の4月号では、もうウルトラエース 直前なので、帰マンよりもミラーマンが 大きく表紙に使用されています。
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47年になると、仮面ライダー人気から「正義を愛する者 月光仮面」が アニメとして復活し、帰マン、シルバー仮面、ミラーマン、月光仮面を 4仮面ヒーローとして、アピールしますが…シルバーと月光以外は 「仮面」と言う意識は、子供には無く…浸透しませんでした(^^:
月光仮面も、バイクに乗り換え側面の模様などサイクロンと略同じで 変身怪人なども登場して、仮面ライダーに寄せ過ぎて人気はもう1つでしたが その後、変身ブームの中レインボーマンへと繋がって行きます。
ライオン丸、変身忍者嵐、ウルトラマンA、バロム1と言う 「変身」に特色を持ったヒーロー達が、大量に製作されていく 変身ヒーローブーム!が到来し、ヒーロー最盛期に突入! メディアミックスも激動の時なって行きますが
それは…また「ウルトラマンAの頃」にて~☆
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