ウルトラQ
地底超特急西へ
図1-B 西岡主任がユリちゃんやマスコミに説明しながら歩き 拍手を催促する通路は、東京駅八重洲南口の 改札前に南北に走る通路が使用されています。 柱と役者の身長からの天井の高さが存在するのは 1階のコンコースしかなく地下ではありません。
図1-B 画面右の柱上には、2階にしては低い中2階的な 窓のようなモノに、天井の照明が反射している部分は 現在も、窓や看板として残っています。
図1-B 作中の電光時計前近辺には、柱の梁が太く在る部分は 看板などで覆われていますが存在します。 画像赤の縦線部分が広くなっていますけども 段差から下部分は、上と色質が違い 後に増築されたように見えます。
図1-B 電光時計は逆に今はアナログ時計になっています。
長く飯島監督の新幹線開通前のホームとの 証言から、成田新幹線*予定のホームでは無いか? と、ファンに言われて来ましたが ウルトラマンDNA、VOL.2バルタンの囁きの中で 地下の名店街のスペースと訂正されています。 ただ地下は天井が低く、作中の人の身長と比べても 地下スペースではありません。 *ウルトラマンDNA、VOL.2小学館05年1月15日発行
幻の成田新幹線 成田空港と東京駅を30分結ぶ計画が、66年成田建設計画と 同時に74年工事が着手されるが87年に失効 幻の新幹線計画に終った計画。 この時の東京駅南の鍛冶橋通り地下に、作られた地下 ホーム(現在の京葉線ホームとして転用)が、ロケ地と 想像されていましたが、65年後半の着工して無い時期に 画面のような形が在るはずは無く違いました。
音の記憶♪ 飯島監督は、頭上で新幹線の音が聞こえていた ような記憶があるようで、もし確かに音をご記憶 ならば新幹線始発の速度からしても、八重洲口では無く 交通会館での撮影で高架から聞こえてきたか? シナハン、ロケハンなどで、靴磨きでガード下などを チェックされた時の音なら、有楽町までの加速などを 考えてもありえる事だと思います?
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ホーム合成カット2
イナズマ号のホームのマット画合成カットの 右側部分も同じコンコースで撮影されています。 エキストラと柱で天井の高さも1階の高さで 手前柱右の抜けを見ても、ユリちゃんらが 歩いた通路の左側図1-A部分が、ホームの合成 カットで使用されています。 ホームの床に模様のある上から撮影した合成カットは
東京交通会館1階の床と柱を使用している為 イナズマ号ホームの撮影場所は2箇所存在しているので 作中的にはカットで模様が違ってしまっています(^^; イナズマ号のマット画は照明やエキストラで 合成ラインは解りますが、模型の2輌編成の 車輌よりはるかに長い車輌として描かれています。
合成のマスクを作るのが大変だったとのコメントは 新聞の写真にイナズマ号がズームするカットの事で ホームの撮影はどちらも簡単なマスクです。
ホーム合成カット1へ*ネスケ旧バージョン上下誤差
図1
現在図A部分は、かなり看板などが置かれ人の往来 や待ち合わせなどが絶える事なく、撮影しても人だらけなので 時間帯や空いてる時期に、また撮影できましたら 画像を掲載したいと思います。
新幹線開通前のホームの謎? 飯島監督の証言が長く、新幹線開通前のホームと されて来ましたが、撮影時期新幹線は開通していて この改札近くの撮影場所では、営業運転時間には 人止めくらいでは不可能な撮影なのは画面の広さ からも解るので、早朝か深夜の撮影であり電光時計の 時間がそのまま劇用では無いとしたら、深夜12:48頃の 終電後に撮影された可能性が高く、S40年後半の時期は まだ八重洲口コンコースでは、さまざまの内装工事が されていました。 その工事などのイメージが、開通前のホームと 思い込みに繋がっていると思います。 *八重洲大地下街営業は撮影から約4年後 また新東京駅は出来たばかりの東京交通会館と 2コ1の撮影である為、交通会館も内装工事などが 特にシナハン、ロケハン時期にはあってもおかしくな 開通前のイメージを、残されたとしてもおかしくない 状態だった可能性が高いと思われます。 同時進行のSOS富士山のこどもの国ロケも飯島監督は 開園前とされていますが、これも同じく撮影が営業時間 以外でされ工事などが、フレームの外で行われていた 事によりそうです・・・ *交通会館開業65年10月 *地底超特急西へ・ダビング作業66年1月24日
東京駅(八重洲口)略暦
明治5年 新橋-横浜間開通 大正3年 東京駅東北本線の起点として開業(12月20日) 昭和4年 八重洲口開設、東京-下関 特急「富士」「桜」 20年 東京駅戦災(5月25日) 23年 八重洲口新駅舎落成・営業開始 24年 八重洲口駅舎、火災消失 29年 六階建て八重洲口新駅舎完成 39年 東海道新幹線開通 40年 八重洲第2公共地下道開通 41年 地下鉄東西線開通 43年 八重洲中央ホールに銀の鈴(一代目)設置 44年 八重洲大地下街(現八重洲地下街)営業開始
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