旧・特撮大プール
図1
S26~S36年に存在していた砧撮影所の旧・特撮大プールで 奥のホリゾントが直線で、仙川寄りの手前が曲線でした。 S35年完成の第8ステージ前に出来る新プールに譲り 姿を消しています。 *右図2と図1のNO.8・9ステージで位置関係が解ります。 その後、S47年に成城東宝ボウルの駐車場になり S50年にボウリング場を改築した東宝日曜大工センター の駐車場の一部となり~大工センター廃止後も駐車場です。 *同S47年向ヶ丘遊園に向ヶ丘東宝ボウルも開場しています。
旧・大工センター 本来は特技課は第2撮影所をベースにする予定が 戦争や東宝争議による新東宝の分裂により、第2撮影所が 使えなくなった為、それまでの第1撮影所の仙川から北側に 特技課の施設を拡大、巨大特撮ステージ*NO.8を初め *後にNO.8.とNO.9に2つに分化され入口は今も間のにある。 旧録音センター(現・東宝サウンドスタジオ)の 北側(No.8.9の裏)に*旧・NO.10ステージが造られました。
その特撮ステージのすぐ上(北)に、オープンプールと ホリゾントを完備した特撮専用の旧大プールが造られました。 *解体後に現・NO.9の北側のステージが10ステージになる。
旧・特撮プールは駐車場になっています。 *プールの淵は丸太など木材でした。
旧・特撮プールの奥(北側)には、特美の作業・準備室などがあり トタン小屋の内外には、東宝連合艦隊が並んでいて 英二さんも自ら点検しているスチールなどが残ります。 *35年の大プール完成後も、数年は準備室は この場所にありました。
S26~S34年頃の砧撮影所
図3 旧・大プール自体(上↓)も大きかったのですが 向きが南東からの光を貰う角度だったので 右側に高さは半分ほどの小ホリゾントを追加したりするものの 準備時間がかかり、太陽角度が充分得られませんでした。
また台風などの崩壊やNO.8・9ステージで使用したものを 持ち出す距離などの都合もわるく 映画のサイズがワイド化(横広)になって行く事で、ワイドな背景が 求められた理由から旧・NO.10ステージと共に姿を消しています。
S35年頃の砧撮影所
図4 S27年くらいから時代劇などのオープンセット(図1紫部)が 抜けに、住宅や電柱などが出来てきたのもあり 高台の大蔵方面に移転して行きます(後の美セン) その敷地を、S34年までの約7年はオープンホリゾント(右側参照) として使用後、S35年太平洋の嵐の制作を機会に ホリゾント前に大プールを新設(上画↑)します。
その後もオープンホリゾントとしても使用しますが 水を抜き入れする時間と経費などの理由からプールとしての 機能に留まる事になります。 *上の絵のように旧大プールと新大プールはしばらくオープンホリゾント としてもある事から同時に存在している時期が在りますが 新旧NO.10ステージや小プールが絵のようには混在していません。
小・プール
小型プール(NO.10ステージ2006年解体)の北に在りました。
旧・小プールと呼ばれるプールは、図1の頃 ほぼ同じ位置にありますが、今の小プールは やや仙川寄りに移動し、サイズも変っています。 図1の頃のプールがイー57降伏せずのスタッフ集合写真で ミニチュア艦を浮べ撮影されたものがあり バックにオープンセット(時代劇・東宝銀座)も見えます。
現在はCG技術の発達で、主に素材撮影などの目的で 使用されています。 *上の写真は2005年にNO.10ステージが、取壊され 抜けにすぐNO.9ステージが見えている状態です。
砧撮影所特撮プールの歴史
全作品を、あげるのは困難なので 代表的な特撮作品を中心に記しています。
●旧・プール時代
S30年 ゴジラの逆襲 北海丸の巨大ミニチュアの撮影 *ゴジラ上陸はステージ内 ラストのゴジラが閉込められる氷山は旧プールの すぐ脇(北)に制作され撮影。*OPホリゾント前では無い。 S34年イー57降伏せず ラストの浮上しての戦闘など S34年 大怪獣バラン の完成記念写真に 旧プールのホリゾントの全様が見れる。 S35年大プール完成後も、しばらく存在します。 *S36年公開のモスラの撮影時期にザ・ピーナッツの2人の 特写が旧・大プール脇で行われています。
■オープンホリゾント(旧・プール前・他) S31年空の大怪獣ラドン ラストの熔岩が流れる阿蘇山の セットが組まれ、溶鉱炉から溶けた鉄を流したシーン。 *阿蘇山はステージ内にも操演の関係で造られ2つ存在した。 S32年 地球防衛軍 有名なモゲラの橋のセットが組まれ 大爆破のシーンがOPホリゾントで撮影されています。 S33年 大怪獣バラン 飛行機・戦闘機などの飛行カットで使用。 S33年 美女と液体人間下水口の川部分(外)下水口内はステージ。
-------35年大プール完成後---------
S36年 大阪城物語 水は抜かれ巨大な大阪城のミニチュアセットが OPホリゾントに組まれています。 S37年妖星ゴラス南極の地球を動かすエンジンの炎(バーナー)が 並ぶセットをOPホリゾントに組んでいます。
●大プール(初期1重) S35年.太平洋の嵐(大プール完成)もちろんプールとして使用し 10m超えの戦艦や空母が活躍しました。 S36年モスラ 自衛隊のセイバーが幼虫を攻撃するカット。 *幼虫の火薬無しはステージ内 S37年 キングコング対ゴジラ コングの海上輸送シーン。 S38年 太平洋の翼(撮影は37年) プールとしても使用し、戦闘機の滑走などでOPホリゾントとしても使用。 S38年青島要塞爆撃 水上離着陸複葉機1:1の水面としても使用。 S38年海底軍艦轟天号(4.5m)やラストのムウ国皇帝が行く海に使用。
●大プール(中期2重) S40年キスカ*南側プール枠がカメラに水が来ないよう二重になる。 S43年山本五十六 キスカ同様、海として艦隊が活躍。 S44年緯度0大作戦 油田調査船などで使用。 S44年日本海大海戦13mの三笠他連合艦隊・円谷英二最後の作品
●大プール(末期) S56年 連合艦隊 巨大ミニチュア戦艦大和が帰って来た事で、多くの記者や ギャラリーが詰め掛け話題になる。プール最後の華舞台。
平成ゴジラシリーズでは主に上陸前や帰る海として使用。 H5年のゴジラVSメカゴジラまでは、ドック部分が無い以外は ほぼ変らない状態でしたがH6・7年から奥行き的に半分になり 幅的にも縮小され、大プールとしての存在が薄れて行きます。 2004年ゴジラFINAL WARS・超星神グランセイザーを 最後に撤去されました。 2005年には、跡地に新ステージNO.11・12が建設されました。
特美倉庫☆大プールホリゾント裏
初期のホリゾントは作品事に張り替える布製で 雲や下部の山などをアングルで移動出来るメリットは ありましたが、コストと自然の雨風などの影響を 受けやすい為、固定した壁が作られます。
その裏には特美倉庫が長く存在し怪獣や戦闘機、戦車などが 収容されていました。末期には*事件などが起きた為に 後半はフォトスタジオになっていました。06末~07年初頭解体。
*92年ゴジラスーツが盗まれ、まだ使用する予定だった スーツの為 関係者は困り大きく報道する事となったので ファンには有名の事件。 行方不明のゴジラに合わせてジャイアンツ>Mリーグの 松井選手に対し「ゴジラ甲子園に現る!」と言う 見出しの新聞記事が出た為、しだいに松井ゴジラの ニックネームが定着している。
操演などで最上部に上り、ワイヤーやクレーンを 操作したり、*カメラを主観にした撮影などではカメラ自体を このホリゾントの上からプール側に滑らせた撮影も行われました。 また、指示が広くメガホンを使っても届かない場合や 俯瞰で見る必要がある時はトランシーバーを 持った助監督などが、この上から指示をしたりしていました。
*川北監督の18番で主観の川北とも呼ばれた。 ウルトラシリーズだとウルトラマンAのTACの 飛行機コックピットからのアングルを影で再現した 視聴者が乗ってるように見えるカットを使用しています。
ウルトラマンA
6話・変身超獣の謎を追え!
画A
撮影場所の目的としてはTACチームの 背中からのカットで、崩れた建物の跡が 東宝オープンに在ったか?組んだ為に この場所で撮影していますが ロケ地としては、切り換えしの↑画Aの左● にNo.9ステージのかまぼこ型屋根が見えて 右●にサウンドスタジオと旧NO.10ステージ 図1が映っていますので、東宝オープンだと解かります。
レオの時期に新NO.10ステージ図2が、新小プールの 北側に出来てる映像が在るので、旧NO.10ステージは 72年~74年の間くらいに交替しているのが解ります。 また画A●の窓があるのがサウンスタジオなので 旧・NO10ステージが特撮用だった高さのある ステージなのが解る、撮影所的にも貴重なカットです。
ウルトラマンタロウ
8話・人食い沼の人魂
怪獣トンダイルとタロウが沈む時と ストリューム光線のポーズの間に入る カットで使用しています。 画のタロウはスーツだけで、Sアクターは 入ってないようです。
13話・怪獣の虫歯が痛い!
水中弾着水・怪獣シェルター浮上で使用しています。
スカイホエール墜落カットでも使用されています。
ウルトラマンタロウ撮影会
ウルトラマンタロウの初期の特写では ウルトラの母や東光太郎と共に 大プールホリゾント近辺で、多数の写真撮影が行われました。 ホリゾントとプールの間の幅なども解るものがあり 今ではプールの資料としても貴重で 専門書やカードのなどの背景に見る事が出来ます。
左・メンコ 右・ブルマァクのカード13番
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特撮用・大プール
*2004年に残念ながら姿を消しました。
図2
この場所は旧・特撮大プール(左参照)があった頃は オープンホリゾントとして使用していた敷地でした。 OPホリゾントの前に巨大プールを造ったものです。 *S35年大プール完成後も、OPホリゾントとしても 使用しています。
図2プール下部の濃い部分はドックと呼ぶ人も居ますが、完成後に 増築された部分で、主に10mを超える戦艦などを撮影順には 邪魔な事もあり、プールから出したいのですが…出し入れには 大型クレーン2機が1艇に必要で、時間も予算かかり破損などの 危険も増す為 一時避難場所として造られたそうです。 撮影で使う事も、まれにあったそうですが、80年代後半くらいに 英二さん他界後、10m超えの船の撮影する機会も無くなり 出来る人も居なく濃い部分は無くなりました。
面積約4000m2(ドックは除く) ホリゾント幅88m
時々解説に湖かよ?って言いたくなる凄い数字が 書いてあったり、昔は2~4倍もあったと言う文に 付属している画像が4000m2のものだったりすると 恐ろしく広い事になってしまいますので、冷静に撮影所の面積と 比較して正しいか判断してください(^^; 確かに平成6年~からは、半分とか1:4に柵で区切られ 注水量を減らし使用していて、それに対する 2~4倍と言う意味ではありますが、基本的にはS35年から04年の 撤去まで、外枠は4000m2のまま存在していました。
深さも満水で約2.5mほどで、怪獣なども頭まで 水面下に収まりますが、基本的にはスタッフの 胸下くらいの水量が保たれ使用されていました。
空の時に掃除は手伝った事はあるのですが なんだかいろんなゴミ?が沈んでいたりして 最初は楽しいのですが…広いので・・・やはり大変です(^^; 底には逆U字型金具が数mごとに埋められていて エンジンやモーターの無い船を、水面下で操作したり 船や円盤が墜落するなどの操演のワイヤーを フックで、どの位置にも固定出来るようになっていました。 撮影前にダイバーさんが、撮影部や操演部の指示で 一番近いU字に装着したりして使用します。
オープンホリゾントとは?
ステージ(スタジオ)内のホリゾントは、見学に来る一般の方にも そのままホリゾントと説明してますので解ると思いますが ステージ内にホリゾントを設置した*発明は円谷英二さんで ある意味特撮のガラスマットなどの生合成の一種でもありました。 この場合、写真屋や商品なを撮影するようなホリゾントではなく 空(夕景・曇空・夜空・宇宙)や、街、山、海、など景色としての バックを意味し、今はフィルムなどで投影したのもありますが 当時は雲などを絵として描いていました。 簡単に言えば空を描いたトリック絵で特撮です。
ホリゾントの発明
スタジオ内に空を持ち込む発想が、昔は無かったので ステージ内は、家などの室内セットが主で、縁側やベランダなど 外光と接するカットは、外(本物を借りる)を 使用するのが普通でした。
*この場合の発明とは、映画の発明を米ではエジソン仏では リュミエール兄弟とされるように、時代的に技術の進展速度が 今とは違い、詳細な技術提携などが無いので、他国で似た技法が ほぼ同時期に発明されたので世界的に英二さんが第一人者と 言う事では無いのですが、日本の業界では知る人は知る事です。 今のような国境を越えたネットワークがあれば時間差で 世界的に英二さんの発明とされたかも?しれません。 オープンセットと言うのは聞いた事があるかと思いますが オープンにホリゾントを置くと言う発想も、普通の人には無く 今でも撮影選択にスタジオのホリゾントやオープンの空抜けは あっても、オープンホリゾントを選択肢に入れてる監督さんは 少ないかもしれません。
英二さんは人工と太陽光の違いを理解した上で 逆に利用する事もあれば、大きな火や火薬、鉄を溶かしたような 高熱な物を使用する場合も、迷わずオープンホリゾントを 選択し使用しています。 *撮影所は昔から照明の熱や、電気の漏電、撮影で使う火などで 火事が起きやすい為に、川の側に築かれる事が多く 京都でキャメラをしていた英二さんは、特に重要建築が京にはある為 (時代的にも木造が大半)他の撮影所(会社)の壁も関係なく 火災が起きたら駆けつけ消化に協力するのが、当り前だった 京都仕込の火災予防(警戒)の意思が強くあったそうです。
OPホリゾント前の大プール。
波起こし機
図A い為 自然の風による波では大き過ぎるので 小さを波の演出する機械が大プールにはありました。 図Aの上が通称すだれで前後に動き波を起こします。 2番目がスロートで上下に四角い部分が動き波を 起こします。上の2つは固定なので3つ目の 移動式大型扇風機で、いろんな角度から波を起したり 他の波にぶつけて複合して使用したりします。 全てエンジンで動き、機械の脇に操作BOXがありました。
主力艦きぬた?
大プールの撮影時には、ほぼ出てくる重要な船で サイドに無反射ガラスがハメこまれていて、水面ギリギリや やや水中なめの撮影を可能にしています。 カメラマンは、毛布なを敷いて腹ばいになって撮影したり かなり無理な体勢での撮影をしていました。 オールを使う事もありますが、船首にワイヤーを縛り ウインチで巻いて進も事が多かったデス。 船首サイドには誰が書いたのか?「きぬた」と書かれて いたので、戦艦きぬたとか言う人もいました(^^; *他にも、単なる木箱のような移動用ボートが Qちゃんが知る頃は2隻いましたが名前は無かったと思います。
最後のホリゾント
2005年完成 現在は大プールの場所にNO.11・12ステージが建っています。 写真左側面に、まだホリゾントが存在しているのが解ります。
ホリゾントも2006末~07頭に解体されました。 写真左側面が上の写真と比べると、ホリゾントが無くなり スッキリとステージ壁を見せています。
ウルトラシリーズで使用された大プール
ウルトラQ
マンモスフラワー
お濠で根が映る合成カット↑上画左部分が 東宝のプールで撮影されています。 センターの男の人の肘が、木の左のラインを超えると 超えると少し消えますギリギリの合成ラインに なっています。 お濠での許可的な問題で合成で処理しています。
宇宙からの贈りもの
万城目・ユリちゃんが目撃した 火星ロケットのカプセルが地球へ送り返され 海に着水するカットも、東宝の大プールで ミニチュアのカプセルを使って撮影されました。
帰ってきたウルトラマン
14話・二大怪獣の恐怖東京大竜巻
郷隊員の乗る黄色いボートの俯瞰と マットアローに手を振るアップも 東宝のプールで撮影されました。
17話・怪鳥テロチルス東京大空爆
帰マンが戦うこの回の前半で、空中戦から落下 する帰マンのカットも撮影されました。 *東宝から美センに撮影を移してる頃ですが、前後編の為 斉藤プロデュサーのお力か?本館と同様に使用しています。
34話・許されざるいのち
湖のシーンで、抜けが水面以外何も映らないカットは 東宝のプールで撮影されています。
郷隊員と水野が湖面に入って同じ深さの胸元までの カットも、殆ど東宝のプールで撮影されています。
47話・狙われた女
プール(手前)に、擬似の岸を作ってウルトラマンが 入る所などで使用しています。
ウルトラマンA
19話・河童屋敷の謎
ウルトラタッチまでに泳ぐプール?も 大プールで撮影されています。 南隊員は…半分スタントのようですが。。。
20話・青春の星・ふたりの星
ウルトラマタッチは、19話と同時撮影も あってか?少し衣装を変えて泳いでいます。 飛び出すウルトラマンAは、大サイズの飛人形を ガイドのピアノ線を、底に固定した滑車から 斜め上に張って引き上げています。
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