栄スタジオ・第2スタジオ
画2
66年頃の栄スタジオ・第2スタジオ(絵・Q氏)
マグマ大使(*後半)、マイティジャック 戦え!マイティジャック、スペクトルマン(中期~) キカイダー(*初期のみ)などが、第2スタジオで撮影されました。 *マグマ大使、スペクトルマンはヒットして 中・後半で、両方を使用したようです。 *キカイダーは大泉(東映)のストによる。
現在は個人住宅や一部工務店になっていますので写真は控えます。
図3 現在の地図の距離や航空写真、道幅から比率を計算すると 敷地 約32m×18m *変形の為最大長 ●メインスタジオ 約18m×7m *変形の為最大長 ●サブ 約5m×8m(スタジオ+横幅12m) ●控室・準備室 約12m×4m(北側追加+1.5m>13.5m)
南側に小さなオープンスペースが在り 空抜けの特撮セットなどが組まれたりしていました。 そのオープン(スタジオ南部分)に小さい撮影用のプールが在りました。
セットなどを運び込む大扉は西側に在ったそうで 西には●が在るので南西部分だと思われます。 敷地の東側は壁も無く畑だったそうです。 控室はブロックにトタン屋根の4畳半~6畳ほどのが 3~4室在ったそうですが、特撮の時は俳優が来ない場合 サブの延長で、プロップの置き場やメンテなどに 使われていたようで、本来はよく無いのですが(時効なので) 小規模の撮影も行われ、キカイダーなども撮ったそうです(^^:
図4
第2スタジオ図4■は、第1スタジオ図4■の北へ 約150m行くと在りました。(*第2敷地南部分まで) 当時は畑と住宅が混在するエリアで、西側の道1本で繋がってました。 マグマ大使後半の写真では、まだ舗装されて無く マイティジャックの頃は解りませんが、70年代の スペクトルマンの時期には舗装されています。
マイティジャック☆特撮班
マイティジャックは1時間番組で、豪華なキャスティングだった為 美センよりも整った撮影所国際放映をドラマ班が使用しました。 逆に怪獣などは出ないですが仮設プールを、ほぼ常設出来るような より*安いスタジオが必要だった為、栄スタジオが選ばれました。 *特撮は放映前のバンクなど徹夜の連続だったので レンタル料金も嵩んだそうなので、準備室(スタジオに隣接) なども撮影で使用していたそうでなので、そっちをスタジオと思ってた 人も居るそうですが・・・本来は撮影するセットやモノを保管したりする スペースです(^^; *貸スタジオは交渉も有りますが基本時間借りです。 円谷英二さんの推薦で、マイティジャックでは使用する事になったのは 英二さん宅が近かったのと、マグマ大使の時に東宝の時の部下でもあった うしおさんの所(栄スタジオ)に何度も訪問し知っていた為。 戦え!マイティジャックになって、ドラマは国際から美センに変更されますが 特撮はそのまま撮影しています。*一部美センや円谷プロなどでも撮影。
マイティジャックでは、第1・第2スタジオを使用していて 水関係(プール)は、第2スタジオだったそうです。
ウルトラセブンとマイティジャック MJは面白い設定なのですが、大人向けな内容と時間から・・・30%近くの 期待があった中、初回11.3%最高11.8%最低5.5%平均約8.8%と 制作予算からすると成功にはほど遠く、早々に1クールで終了が決まり 戦え!MJの30分枠に縮小変更、その頃成田亨さんがフリーになり ウルトラセブンの宇宙人・怪獣デザインは池谷さんに代わります。 *円盤などは池谷仙克、深田達郎が元々担当していました。
セブンの一部が栄スタジオで撮影している噂の可能性は・・・? MJの視聴率が伸びない為に国際放映の使用も2~3月までで止め ドラマ班も美センに移動してるので、帰マンやタロウなどシリーズ頭だけ 東宝の砧撮影所を使うように頭を豪華(予算を使う)にする方法は 英二さんの意向だったので、オンエア前のMJも ある意味予定通り*美センに移動していたのかもですけども?(^^;
視聴率の低迷が続く下降線のウルトラセブン後半も セブン34話蒸発都市などに、MJのバギーコックピットが 画面に登場していたり、数字が落ちてるセブンに湖や海の特撮プール*を 使用した作品が数本あるのも、セブン単独作品では考え難いですが 戦え!MJ側も、怪獣や巨大ロボなどセブン的な特撮セットが 必要になっているので、両作品がクロスしてる部分は在るのですが セブンが栄スタジオを使用したかの確定的な証言は・・・まだありません。 *ウルトラマンは数字は上昇していたが、後半予算オーバーや 時間節約の為特撮プールは使用禁止になっている。
改築でやって来た!ウルトラマンタロウ
ウルトラマンタロウ時期に、美センが東宝ビルトに生れ変る工事があった為 タロウは特撮班を栄スタジオ(仙川)、ドラマ班はウルトラマンAと同じ 東京映画にしています。下は当時のタロウのスケジュールにある 栄スタジオの電話番号03-3~で始る番号は仙川スタジオのもので 見学しに行った特撮ベーシストさんの記憶にある怪獣 32話グロンの時期のタロウの栄スタジオは、祖師ヶ谷の栄スタジオではなく 仙川に出来た栄・仙川スタジオ(第3スタジオ)の事で タロウより予算の少ないファイヤーマンの大映のスタジオと言う記録が 高山良策さんの日記に出てきますが、これも場所的には同じ仙川で スタジオの名前が栄スタジオから>大映のスタジオに変わった為(時期)です。 タロウ台本関係連絡先表
ウルトラマンタロウ
(栄・第3ST、仙川スタジオ)
旧・円谷英二邸
英二さんのファンの方から(特に地方)英二さんの御宅は今どうなって るのかと質問されます。英二さんのファンとしては気持ちはよく解るので なかなか文字だけで伝えるのが難しい状態な為 一部修正画像ですが掲載します。 現在は敷地の一部の建物は残り、本宅や庭部分は残念ながら駐車場に なっています。 記念館などになってはいませんが、外国などでは 有名な画家や作曲家の生家だけでなく、愛された作品を産んだ時期の アパートなども大切に保存されていたりしますので、本当は区などで 復元したりして貰えたら国内外のファンが訪れるのではと思いますが…? 伝記にもなる方なのに・・・2005年時は写真のような状態です。 元の門がちょうど駐車場入り口で、現存宅部分が有名な空撮写真の 右斜め上の角にあった建物です。 *一部宅は現在も円谷家個人の所有ですので住所などの詳細は控えます。
生誕100年に制作、公開された人形の円谷英二特技監督。
旅館花房・跡
祖師谷商店街から、少し奥に入った所に ウルトラマン、セブンのメインライター金城哲夫や上原正三などのライターが 企画書や台本を書くのに篭った*小さな町旅館「はなふさ」が在りました。 漢字では「花房」と書くそうで、読み方も 「はなぶさ」と、にごると記憶されてる方も居るので両方言われてたのかも しれません・・・どちらかが正しいのでしょうけども(^^; 今は店舗や住居になり、旅館の建物はありません。
プロデュサーや円谷英二さん、円谷一さんなどの監督や助監督なども 陣中見舞いに来たり、アイディアなどの加勢に何度も足を運んだそうで 円谷作品の屋台骨を考案した場所の1つでした。
ウルトラセブン終了後、文芸部が解体され 企画書のノルマに追われた頃、この旅館の玄関先に在った 大鏡をヒントに、金城さんが書き上げた企画の1つが 後の「ミラーマン」となります。 *新幹線などが今ほど無い頃、国内の移動も日帰りは少なくて地方では駅前に 東京や都市部では駅の商店街を少し抜けた所や少しはずれた所に 小さい町旅館(駅前旅館)が2.3件ある時代がありました。
SPECIAL THANKS 協力
祖師谷商店街・特撮ベーシストさん
第2スタジオ協力・BIGSTONEさん
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栄スタジオ・第1スタジオ
画1 70年頃の栄スタジオ・第1スタジオ(絵・Q氏)
いわゆる*トタン小屋で出来た小さな掘っ立て小屋の おんボロスタジオでした。(^^: 時期などで位置・形が少し違いました。*トタン小屋プレハブ登場前の簡略小屋。
2005年時の栄スタジオ跡地です。図1■
今は近代的な外観の浄土宗観音院が建っています。
図1 祖師谷商店街(現・ウルトラマン商店街)を、北に抜けて 郵便局(祖師谷四局)の先を、右に曲ると見えて来る場所です。
マグマ大使やスペクトルマン(前半) キカイダー(数話のみ)などの特撮作品が 全国の子供達に向けて制作されました。
栄プロダクション
栄スタジオは、*松浦栄策さんの独立プロ栄プロダクションが 持っていたスタジオで、当初は、祖師谷に第1スタジオが 続いて第2スタジオが、約150mほど離れた場所に出来ました。 その後、第3スタジオが同録可能なスタジオとして 仙川に出来ますが、其れは仙川スタジオに記載します。
*松浦栄策、1950年新藤兼人、吉村公三郎、殿山泰司らが設立した 近代映画協会で、映画、母(1963)、裸の島(1960)人間(1962) などの映画で制作を担当。 裸の島は、モスクワ映画祭グランプリ受賞、リスボン映画祭銀賞 メルボルン国際映画祭グランプリ、ベルリン国際映画祭セルズニツク銀賞 など、内外の賞を獲得し海外にも売れた事から近代映画協会を有名にした。 其の近代映画協会から独立したプロダクションで、64年からTVドラマを 数本制作しています。 風を見た人(1972)CX、近代放映と栄プロダクションの共同制作も在る。
美センが円谷プロのホームなら、ピープロのホームのような 撮影所で、ピープロの得意な1:1サイズのマグマの足や 大きな手ハリボテの怪獣なども敷地に置かれていたそうです。
塀も時期で無い箇所もあったり、守衛も居ない門(西側)は 子供でも乗り越えるのが簡単でした。 東側の突き出た部分は、工作室に使われてた事が多く 60年代には無かったそうで、おそらく 砧8ステージ横の工作室に習ったのでは無いかと思います
図2 60年代は北東側に小屋が接続されていたそうです。 廻りの東と北はずっと畑で、70年くらいに門から入った所だけ 駐車スペースとして砂利がひかれました。
天田10円カード ネオへドロンとスペクトルマンの背景に 当時の栄スタジオ(第1スタジオ)が、少し見れます。 ただ、この写真は修正されていて、元写真では 背景のトタンにピープロの電話番号が ペンキで書かれています。*↑上のイラストの右手前の角。
ちいさなお宝どろぼう この栄スタジオでは、宇宙猿人ラーやダークよりも ヒーローをピンチにした事件が2度ありました。 1つはスペクトルマン撮影時期に、金属制の飛人形が 盗まれ飛行不能状態に・・・なりました。 犯人は近くの子供で、無事回収され再飛行できました。 もう1つは、キカイダーの電飾仕込みの頭部が 盗まれました。OPなどで光っているスーツの物とは 別のアップ用で、こちらは近所の空地から見つかりました。 もちろん、盗んだ方がわるいのですが・・・守衛の居ない スタジオでは、子供が持てるサイズの物は鍵のかかる 所などに保管した方がよかったかのかもしれません(^^;
キカイダーはロケが多く、10.11話の怪人が祖師谷団地 バックのスチールが残るくらいで、栄スタジオのスチールは 今の所公開されていません。 スペクトルマンは、今はマイナーヒーローと書かれる事が 多いですが、当時は裏番組巨人の星の数字を上回るメジャーな 人気番組で、大メジャーのウルトラマンと
比較した見方の方がおかしいと思います。
スペクトルマンは、タイトルが2回代わったのも 特撮ファンには有名ですが、宇宙猿人ゴリの時期は 祖師谷の栄スタジオ(第1)ですが、 宇宙猿人ゴリ対スペクトルマンの辺りからは、視聴率で 巨人の星を破った事からも 仙川の同録可能な良い第3スタジオに移動しています。
栄スタジオの終幕
何時頃まで在ったかについては、電人ザボーガーが ココ以外の所と言う方と、初めはココだと言う 証言があり、74年あたりで姿を消しているようです? ピープロの最後のTV作品、冒険ロックバットは 制作費も無い事もあるが、祖師ヶ谷大蔵駅北口から 1.2分の所にあった銭湯が営業終了した建物を改装して 撮影されています。
主役ロックバットが緑で脇のブレーザーが赤なのは珍しい配色です(^^; 4クールのストロングザボーガーも銭湯改装のPプロのスタジオ。
現在の祖師ヶ谷大蔵駅のウルトラマン案内板。
栄スタジオの特撮作品 マグマ大使(66.7.4~67.7.9) 制作・ピープロ、東急エージェンシー 特殊造形・大橋史典、開米栄三、照井栄 マイティジャック(68.4.6~6.29)・特撮のみ 制作・円谷プロ 監修・円谷英二 特撮美術・成田亨 戦え!マイティジャック(68.7.6~12.28)・特撮のみ 制作・円谷プロ 監修・円谷英二 特撮美術・井口昭彦 スペクトルマン(71.1.2~72.3.25) 制作・ピープロ 原作・うしおそうじ 企画・的場 徹 特殊撮影・的場徹、堺武夫、矢島信男 快傑ライオン丸(72.4.1-73.4.7) 制作・ピープロ 企画・原案・うしおそうじ、別所孝信 特撮監督・矢島信男 人造人間キカイダー(72.7.8~73.5.5)* 制作・東映 原作・石森章太郎 特撮研究所 *厳密に話数で言えないが2話から3クール32話までを 労働組合問題で大泉が使用出来ず栄スタジオを使用。 風雲ライオン丸(73.4.14~9.29) 制作・ピープロ 企画・原案・うしおそうじ、別所孝信 鉄人タイガーセブン(73.10.6-74.3.30) 制作・ピープロ 企画・原案・うしおそうじ、別所孝信 電人ザボーガー(74.4.6~6.29)(4クール75.4.6~6.29) 制作・ピープロ 企画・原案・鷲巣富雄、別所孝信 *ストロングザボーガーの時期は駅前銭湯跡。
*宇宙猿人ゴリ・宇宙猿人ゴリ対スペクトルマンスペクトルマンと 3度タイトル変更をしている珍しい作品ですが、ココでの記載は 基本的にスペクトルマンと記しています。
美味しい作戦室
写真は05年のリフォームした、やきとり屋さんたかはしです。 創業57年やきとり一筋で、建物は数年前に リフォームしましたが、今も祖師谷に在ります。 1期の頃金城哲夫、円谷一、上原正三らを始め 監督や役者さんらが、長く~平成になっても集い 幾多の街の破壊、地球侵略行為の作戦、予算や材質、他作品の アイディアまで、話し合われた美味しい作戦室でした。 今後も長~~く、暖簾を降ろす事の無いよう ウルトラファンも、是非寄ってみて下さい。 関係者が居れば、裏話や懐かしい話から ど~でもいい話まで聞けるかも?♪
うしおそうじと鷲巣富雄
同一人物で、ピープロ社長(名義的には一時期は 書類上、円谷プロの人でもある方)で 漫画家でもあり、円谷英二さんの元で働き、手塚治虫さんと 親交が在った為、マグマ大使が実現しています。
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