ウルトラセブン
14話(15話)・ウルトラ警備隊西へ
新六甲大橋(六甲新大橋)
ポインターが、六甲防衛センターに 向かう時に渡る橋です。
現在は周辺の木々が生長し、同じアングル図1●からは 撮影出来ないので図1●の旧道から撮影しています。 旧道へは六甲ケーブル下駅前から 下(河寄り)の道を走らないと行けなくて 下り時にも右折で旧道へは入れません。
図1 大別すると道が3層になった区間で、図1下側から登ってきている 旧道ライトグレーと、その上を平行して走る新道が廻り込んで 新六甲大橋(赤部分)を渡って、図1右方向に山を登って行きます。 開通★から有料道路だった為に、歩道は在りませんので 歩いて訪れる事は出来ません。 写真は車載カメラからのモノも在ります。★六甲ドライブウェイ・参照。
1つ目のゲートのカーブです。
図1●当時は、このフレームで右上に空が抜けて居ますが 今は木々の生長で、このサイズでは見えませんけども もう少し引くとまだ空が見えます。
新六甲大橋 兵庫県神戸市灘区篠原大月山
六甲ドライブウェイ(表六甲ドライブウェー)
ポインターが曲がるヘアピンカーブです。図2●
草木の生長や外灯が出来てますが 特異な形状の縁石や溝蓋は、そのままです。図2●
図2 図2●が2つ目のゲート地点で、作中では河の流れを制御する コンクリートの壁(小ダム)が映りますが、殆ど草木で 見えないのと、交通量が多く観通しがワルイので略しました。 図2●を通りすぎると1番*左の車線を進み>Y字の右 トンネル(小)方向で図2●●方向に行けます。 *右寄りの車線は有料のグレーのトンネル(長)に入ります。 図1の橋を渡り右から来ると>図2右下に繋がります。
ポインターと秘密諜報員マービン・ウエップの ヴォクソール(白い車)が、上がってくるカットは 六甲ドライブウェイの位置↓図2●です。
木々の生長が激しい所ですが図2●奥にセメントの壁が見え その上にも、作中でも映る格子状の落石防止壁も見えます。
実際には上の写真●の位置から撮影していますが 写真のように木々に覆われていて、同アングルの 撮影は不可能でした。
六甲ドライブウェイ 神戸市灘区鶴甲~六甲山を結ぶ有料道路。 *2002年6月~無料化
昭和3年 裏六甲ドライブウェー開通 昭和4年 表六甲ドライブウェー開通 昭和13年 阪神大水害で全崩壊 昭和31年8月 有料道路方式(財源の解決)にて開通。★
ウルトラセブン
15話・ウルトラ警備隊西へ(後編)
六甲会館
アンヌ隊員が変装してビデオシーバーで報告してる ロケ地は、当時の六甲会館です。 乗っている?車は、59~67年式のベンツ W111*詳細↓
画 当時の建物位置からすると、アンヌの右後の窓が 建物南側の●なので、画・図4●の位置に斜めに 建物側を前にして車を停めています。 画●窓上には、六甲会館時代は「六甲会館」の文字が 在ったので、アンヌのカットではフレームで切っています。
背景の建物は、既に解体されているので 跡と言えるようなモノは、六甲登山口の信号から 六甲山に向かう道に面した、石壁くらいです。
画の●にある開業当時の「ホテル六甲ハウス」と 刻まれた岩は、組なおされた今でも図4●の角から 脇道を少し入った場所に、誤解の無いようにか? 通りを背に置かれています。
図4 六甲会館(跡)・神戸市灘区篠原北町1-8
■略歴■ S16年「ホテル六甲ハウス」開業~終戦で接収され~ 財団法人ザヴィエル育英会(現・財団法人ザビエル育英会) インターナショナル病院になり S37年「六甲会館」学生寮に、外国の神父さんが多数住み 六甲教会の神父さんが語学教室も行った。 S52年3月閉寮>ベトナム難民の収容所として使用された後 老朽化で解体。 現在も、当時の建物は無いが 財団法人ザビエル育英会として存在しています。
■メルセデス・ベンツ W111 4ドアセダン 1959年~1968年(セダン以外は~1971年まで販売)
W111・1959年にデビュー。キャデラックなどの影響の テールフィンを持つ事からベンツの「フィンテール」と 略して呼ばれた。 4ドアセダン、2ドアクーペ、2ドアコンバーチブルが在り アンヌ隊員の撮影に使用されたのは W111の4ドアセダンの59~67年式の間。*撮影は67年末
W111・2.2L直6エンジン 65年W112・エアサスで・3L直6エンジンが追加されますが 同時にセダンは生産終了しているので 撮影の車種はセダンですからW111。 *現在のSクラスの源流に位置するので、玩具などでは 220S(SE)などの記載で発売されているモノも在りますが 50年代の220の方が有名だったりするので 厳密に間違いなく示すには、販売当時の(*Sクラス前) W111と記載します。 * 1972年のW116からSクラスと正式にネーミングされる。
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ウルトラマン
26話・怪獣殿下・前篇
六甲無線中継所
怪獣殿下たちが止められる場所です。 右の鉄塔は災防・消防無線用 (現・兵庫県防災行政無線)
現在の止められて居た所。 木々の生長は、ココも凄いですけども 当時は門扉こそ無いですが、立ち入り禁止の 看板が在る上り坂のゲートだったそうです。 作中のカットも、よく観るとジープの後ろに ポールと看板が見え…奥にも低い門が 見える登り坂になっています。 1966年当時から在る建物の寄りのカットです。図3●
木々の生長で、唯一ゲート付近から見える建物です。図3● 今は茶系の外壁ですが10年程前までは白系の外壁でした。
図3 表六甲ドライブウェイからサンセットドライブウェイを 東に行った「六甲山頂駅」図3●の手前 現・六甲ガーデンテラスに、六甲無線中継所は 隣接しています。 ロケ地は背景的には、六甲無線中継所ですが 走っている・立っている場所は、現・六甲ガーデンテラスや 其の駐車場と言える場所です。
現在、建物やアンテナ鉄塔の下部分は殆ど見えません。 1966年後、多くのアンテナが増設され 現在は更に高いアンテナが在ります。 NTT六甲天文通信館(90~02年)が在った頃は 天体反射望遠鏡など施設内の設備が、利用出来た そうですが、現在は見学などは出来ません。
科特隊専用車の走ってくるカーブの奥に見える建物は 現在のジンギスカンパレスとショップホルティの 辺りに在ったそうですが、現在は撮影当時に*近辺に在った ホテルや十国展望台などは、老朽化などで姿を消して 03年六甲ガーデンテラスとして再開発されました。図3● *ホテル凌雲荘、回る十国展望台、六甲オリエンタル 阪急食堂などが点在した観光スポット。
現在のカーブ部分です。↑画で右の低く傾斜してる部分は 写真では解らないですが、道と平行に蓋をされた感じの 地下?(一段低い)駐車場になっています。図3●
六甲ガーデンテラス 神戸市灘区六甲山町五介山1877-9
六甲無線中継所 昭和36年 10~12月 六甲無線中継所完成12月 *開局10月 建設省近畿地方建設局・六甲無線中継所 (県防災六甲山無線中継所・内航船舶用・NTT・他) 神戸市灘区六甲山町五介山
琴鳴山(蓬萊峡)
目覚めたゴモラを落とした六甲山で対応する 科特隊と防衛隊のロケ地は、当時の琴鳴山です。 もう1つキャップの前で防衛隊が銃を構える カットも背景的には略同じです。
当時のというのは、関東の武甲山のように採石山 なので、絶えず形を変えていて変貌していますが 白い岩肌に雰囲気は感じることが現在も出来ます。
蓬萊峡の方が広範囲を言うこともあり、有名で 黒澤明監督の隠し砦の三悪人(1958年)で 撮影されているので、年数的には近いので比べて みると面白いかもしれません。
またウルトラマンと同時期のマグマ大使の中でも ストップゴンの回(21話~)でも登場していて 特撮セットにも山が削られた部分が多数ある 様子が再現されていますが、現在の航空写真で 見ても、採石が進んでいるのは明らかです。
関西ロケとマグマ大使
マグマ大使は、ロケがメインというよりも 関西方面のプロモートで訪れていて、ロケも している感じで、*宝塚ファミリーランドでの マグマ大使や怪獣*ドロックスが遊園地バックの 写真が存在します。 作中にも伊丹空港や奈良の東大寺が登場します。 また、このPプロの関西プロモ案を聞いた 円谷プロが、スポンサーの武田の関西 での撮影案を企画しています。
マグマ大使21話・11月21日放送 怪獣殿下・前 1997年1月8日放送
*宝塚ファミリーランド・2003年閉園 *ストップゴンの1つ前の怪獣を持って行っているのは凄い。
琴鳴山 蓬萊峡
兵庫県西宮市・瀬戸内海国立公園の指定区域。
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