ウルトラQの劇中で、レギュラーで登場する万城目淳の愛車です。 TBSラジオウルトラQ倶楽部03.10.19放送で Qちゃんの質問に答えて貰い、カラーは*赤と判明しました *赤(厳密には赤と朱の中間) *1本(話)のみ別色(同種の別車体)がある。
全長4m65cmと言う、かなり長いボディで サイドには、スカイラインの名に相応しい美しいラインが走っています。 ドア下部分にも、メッキラインが通っていて豪華です。 横から見ると、幌カバーをしてる時は、もっと上に出てるので 幌カバーを外した状態(劇中どちらも見られる)の黒に幌のパーツは 塗装してあります。*幌カバーの色はベージュ
今でも斬新な斜めに着いた4燈ヘッドライトは、ミケロッティのデザインで トリノで初出展された時からチャィニーズ・アイと呼ばれていました。 ナンバーは「品5 ね1-29」で、トランクは面積的には凄く広いものの 横からのスタイルを見ると解りますが、後輪から後ろは高さが かなり無い為に、トランク内もスペアタイヤの上部分は浅く、高さ的には 狭く感じます。リアナンバー下の鍵ボタンを押して、トランクを開けました。
一般販売そのままの車輌なのに、他のウルトラカーに 引けを取らない存在感のスカイラインスポーツ。
プリンスの歴史 立川飛行機が戦後、GHQ指示で解体 1947年東京電気自動車を設立 電気自動車「たま号」を発売 1949年 「たま電気自動車」へ改名。 1951年電気自動車は生産中止、ガソリン車を製造社 「たま自動車」へ改名 1952年に製造したガソリン車を「たま」と予定するが 当時皇太子殿下の(明仁皇太子)の立太子礼を記念して 「プリンス」と命名。 社名もプリンス自動車工業と再び改名。 1954年 富士精密工業を合併存続社名を富士精密工業とし 一時期「プリンス」の名は消えるが 1957年 初代スカイライン発売 1959年 初代グロリア発売(日本初の3ナンバー規格) *1960年5ナンバー規格が1500cc以下から2000cc以下に 変更され以後グロリアも5ナンバー 1961年 社名を「プリンス自動車工業」に変更プリンスの復活。 1964年10月ウルトラQの主役万城目が乗る車に プリンス「スカイラインスポーツコンバーチブル」が採用される。 1962年 スカイライン・スポーツ発売。 1964年 5月3日第2回日本グランプリ(鈴鹿)で プリンスのスカイラインGT(生沢)が、当時国産車は世界に 通じる事が夢だった時代に、ポルシェ904(式場)1周だけ抜いたという 現象に歓喜し、大きなNEWSにり、今も伝説のレースとして語られる。 1965年 通商産業省自動車業界再編計画があり プリンスの経営不振、会長の石橋正二郎が ブリヂストンの経営者でもあった為、他社との問題も想定され 5月日産自動車との合併計画発表。 1966年8月日産自動車に吸収 プリンスの名と、スカイラインの車名は伝説のレースで ブランド価値があり日産後も残る。
モデルペット(1961年11月発売)1:43 アサヒ玩具 スカイラインスポーツ*クーペは62年4月発売。 今回使用した前期発売の赤箱のタイプは、ホイール(ホイールキャップ)が 後期とは異なります。*後期は溝もなにもありません。 長年スカイラインスポーツ、唯一の商品モデル化でしたが 近年、京商や他からも発売されています。 画像のモデルは、ベースは車体が白のコンバーチブルで 内装はライトブルーのモノを、レストアして使用しています。 モデルペット 国産初のダイキャスト製ミニカー(1959年)を発売した アサヒ玩具のシリーズです。 モデルペット(MODELPET)第1号はトヨペット・クラウン(NO.1)で スカイラインスポーツはNO.15、クーペはNO.16なので オープンのコンバーチブルが、先に発売されています。
万城目より前のオーナー! 日本一の色男(1963年) クレージーキャッツの映画の一本で日本一の男シリーズ第一弾 劇中金山丸子(団令子)が乗るスカイラインスポーツが 「品川5 ね1-29」赤のボディにアイボリーのシートで登場しています。 公開が63年7月13日なので、この時期の映画ですから 63年になってからの撮影だと思われます。 スカイラインスポーツは62年発売。 東宝スコープ 93分 カラー作品 監督 古沢憲吾 監督助手 野長瀬三摩地 渡辺邦彦 松江陽一
君も出世ができる(1964年) 愛人役の浜美枝さんの愛車として登場しています。 東宝スコープ 100分 カラー作品 監督 須川栄三
SPECIAL THANKS 映画「日本一の色男」情報協力フクシンさん 映画「君も出世ができる」情報協見習い隊員さん
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リアトランクは、深さは無いですが面積が広く 後方から見ると、トランク上部が広いのが解ります。 後部座席は狭く、3人乗りの横向きの座席も存在しました。 一平が、後ろで横向きの乗る回がありますが 狭いのと、佐原さんが大きいからなのか? 座席を途中で付け替えたかは解りません。 4座席タイプが確実に映る話は存在します。
コンバーチブルは、特にフロントウインドウ から後ろまでが、フラット感が凄くあるボディです。 実車では、マフラーがリア左下に2本出ています。
ステアリングも、モデルは単色ですが劇中と同じく スポークを塗りました。 シートはアイボリーの班光沢、フロア(シート)は 濃赤にしてあります。 劇中の星川航空の帽子や、ジャンバーの色との 比較や、シートのエッジにチューブがありますが それが白なので、シートは4種あったカラーの中の アイボリーで、他のカラー劇場映画に登場する画を 見ても間違い無いと思います。
発売当時の実車は、8種のボディカラーと 4種のシートカラーに、クーペ(屋根あり)と コンバーチブルが、組合わせで選べました。 赤とアイボリーシートの組合わせの車体は 現在、存在するのでしょうか・・・?
選べるカラーバリエーション♪
ボディカラー8種 バレンシアゴールドメタリック(金色) ブェロナグレー(紫色) ネオセルバイスキャブルー(紺色) マントバアイボリー(クリーム色) ベルガモブルー(青色) アダマシルバーメタリック(銀色) プレッシャーグレー(灰色) カーーニバルレッド(赤色) シートカラー4種 アイボリー・黒・赤・白
2台のスカイラインスポーツ! 「品5 な20-84」 「品5 ね1-29」 TBSラジオ ウルトラQ倶楽部 2003.10.19放送で、Qちゃんの質問を、佐原さんご自身に 答えて頂いたカラーは赤でしたが、07年に佐原さんより もう1台クリーム色のがあったとの証言があり、調査すると ウルトラQの最初期の撮影で「変身」の回で使用されていた ナンバー「品5 な20-84」が、クリーム色*なのが解りました。 *正しくはマントバアイボリー 2台の謎? ウルトラQ(当時まだUNBALANCE)の撮影は64年9月27日の
「マンモスフラワー」の、お壕のシーンなのは有名ですが マンモスフラワーのスカイラインスポーツは、赤で「品5 ね1-29」 一方、「変身」は10月10日に奥多摩(秋川)での撮影があります。 ですが変身に登場するスカイラインスポーツは、すべてクリーム色の 「品5 な20-84」です。 つまり、同じ監督の梶田組の撮影で「悪魔ッ子」を入れた3本は 同時進行(重なるの意味)だったので、推測1として スカイラインスポーツのシーンとしては「変身」が一番最初だった。 これは試写などで、クリーム色だと露出や当時のブラウン管での 映りがよくない事からの変更が考えられます。 推測2スカイラインスポーツの後部座席の問題で 「マンモスフラワー」のお壕に向う後部に乗る一平は、横向きなので 変身は5人(後に3人)乗るシーンがある為に、赤の1-29が 使えなかった為、20-84が用意された。と言うのが考えられます。 推測3赤の1-29を先に撮ったが、座席後部の向きの変更で 修理工場などに入れていた為に 変身ではクリーム色の20-84が台本上、後部座席を 使うのもあり用意された。
と、言うのが考えられますが・・・いずれも推測の範囲ですが 何らかの理由で、2台のスカイラインスポーツが ウルトラQの映像内には存在しているのは確かです。 カラー化されたら・・・全部赤かもしれませんが(^^;
SPECIAL THANKS クリーム色車・情報協力ゴジゴメさん
当時の価格と伝説の要因 価格は、クーペ(ハードトップ)185万円 コンバーチブル195万円と トヨタ2000GTが67年に登場する前に、当時の高級国産車クラウンの 2台分、ブルーバードが3台買える価格で、当時この車に乗れるのは お金があっても外車を買う時代なので、そうとうな金持ちか 国産好きでないと買えない車です。 万城目も、大金持ちのボンボンでもないと、セスナパイロットの 給料で乗れる代物ではなかった車です。
製造台数も約60台と言われる、スカイラインの中で 市販年数1年間で60台は、超がつくほど幻の車で 現在でも貴重な存在です。
プリンス・スカイライン・スポーツ BLRA-3型(1962~63年) 1960年11月のトリノ・ショー架装出展。 1961年の東京モーターショー展示 1962年4月販売開始 デザイン・ジョヴァンニ・ミケロッティ(伊)
GB4型直4OHV 1862cc、4速MT、乗員3~5 全幅1695mm 全高1385mm 全長4650mm 車両総重量1360kg
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