旧・大蔵映画撮影所

ロケ地★光跡

東京発声映画製作所
1937年(S12)6月に、東京発声のトーキー撮影所として誕生
豊田四郎を中心に、松竹でトーキーを撮らせて
もらえない脱退メンバーを母体に設立した
東京発生のホーム撮影所が大元。
若い人(1937)などのヒット作や、鶯(1938)大日向村(1940)
わが愛の記(1941)など、文芸作品を制作するも
1941年に東宝に吸収 
東宝第3撮影所時代には
円谷英二ひきいる東宝特技課が使用していた時期もある。
37年頃は、廻りには何も無くて、隣に
東急自動車学校*
あっただけでした。

*東急自動車学校・東京農大との間にあったが現在は
ファミリーレストランなどになっている。

新東宝(第2撮影所)時代

新東宝前も、東宝の前身の1つ、東京発声の施設から
空き状態になり、東宝第3撮影所として使用されます。
撮影所としての設備が、充実して送り出す作品が
しっかりしたモノが出来るのは、新東宝以後の時期。

大蔵映画・撮影所時代


 新東宝の倒産が見え始めた頃に富士映画、大和フィルム
統合した、大蔵映画がメインにした撮影所になります。
設備投資もされるが、1作目の大作が失敗してしまい
撮影所を大幅縮、>小し遊戯施設を導入します。

建物自体は、撮影所のステージのままの外観ですが
中はボウリングやスーパーが入っています。

オークランド

 
74年撮影所を閉鎖、現在はオークランドと言い
遊戯施設・スーパー・ファミレスなどが敷地にあります。
 

大ステージの1つが壊された跡に作られたゴルフ練習場。

東京都世田谷区桜3-24-1

大蔵・映画☆略歴

1947年 新東宝誕生
1955年 大蔵貢が社長就任
     外部の大監督・スターの起用を禁じ
    低予算の早撮りで量産 怪談、エログロで稼ぐ。
    
1957年 明治天皇と日露戦争の大ヒット(当時7億以上)

1960年 前田通子袖まくり事件*高倉みゆき2号事件*
            などが続き社長の座を追れる。
    *退任直前、新東宝第2撮影所を富士映画に譲渡。
1961年 新東宝・巨額の累積赤字を抱え11月倒産
    
*現在の新東宝は関西支社のモノで国際大蔵映画とは直接の関係は無い。


    興行・配給チェーン大蔵映画設立
    (富士映画、大和フィルムを統合)
    大蔵撮影所(旧・新東宝第2撮影所)をメインに製作

1962年 2月 ピンク映画第1号「肉体の市場」大ヒット
     (製作・協立映画 配給・大蔵映画)
1962年 4月「太平洋戦争と姫ゆり部隊(70mm)」
     大蔵映画制作第1作だが興行的に失敗。
     *明治天皇と日露戦争なみのヒットを見込んだが
     70mm大作だった事もあり本格的な映画から
     わずか1作で撤退・撮影所も遊戯施設や店舗を入れ縮小。

 
    オークラカラーなる濡場などのみカラーで
    他は白黒フィルムを使う低予算製作や
    エログロと呼ばれるエロや怪談モノの製作で
    大蔵映画=エログロと言うイメージが定着してしまう。

1974年 大蔵映画撮影所・閉鎖 娯楽施設オークラランド
      になり現在も大蔵映画(株)が経営。
1978年 9月15日大蔵貢 死去78歳

*「裾まくり事件」前田通子 日本初オールヌード女優で有名
監督から裾をまくれの指示に、意味も無く裾をまくる芝居を
拒否したのに対して「お前は女優だと思ってるのか!
バカでも○○○でも、スッ裸になるからつかえるのに何を言うか!」

と、言った大蔵貢の発言。裾まくり事件などの問題でわずか2年で
映画界を去った幻の女優。

*
高倉みゆき(2号事件・めかけ事件)
大蔵貢が高倉みゆきとの関係を雑誌に「女優を二号にした」と
書かれ記者会見で「2号を女優にしたのだ」と発言した騒動。


大蔵映画株式会社は、現在も銀座と目黒に本社を置き販権管理や
目黒シネマ、上野スタームービー 、上野オークラ劇場
横浜光音座Ⅰ などの劇場や、伊東オークラボウル 、福島オークラボウル
などのボウリング場を経営しています。

快獣ブースカ

27話・ブースカ対チャメゴン!

チャメゴンがダットサンフェアレディに化けた所。
現在は、駐車場の角にファミレスがあり
カメラが引ききれないのですが
なんとか建物は、かなり味のある雰囲気と
共に残っています。

ゴルフ練習場や、バッティングセンターが
現在はあり、噴水はありません。
大きさはの有名な噴水より大きいものでした。

ウルトラマンタロウ

51話・ウルトラの父と花嫁が来た!

南原母と珠子が閉じ込められるビルの地下室が
大蔵映画撮影所からオークラランドになる
直前に撮影されています。

大蔵映画・撮影所

大元は、東宝の施設の1つ*で新東宝時代に
新東宝第二撮影所となり、倒産後に
大蔵撮影所となっています。
土地の名前と思ってる方も居ましたが
人名の大蔵貢の大蔵からのネーミングです。
今では、大蔵映画と言う言葉すら聞いた事の
無い人が多いかもしれませんけども
根強いファンも居ます。
*東宝の発祥地説の1つの場所ですが、東宝設立後の施設
*新東宝第二時期に富士映画の時期があり
新東宝、大蔵共に関連がある為に境は短い事も
あってハッキリはしていません。

大蔵貢(おおくら みつぐ)

1899~1978年
見世物小屋興行師(活動写真の弁士の事)から
1936年日活が常務に据えるが
松竹と通じていたため問題となる。
1955年新東宝を買収し社長に就任
退任後、大蔵映画を設立 
歌手・近江俊郎の実兄 
1978年9月15日78歳で死去。

近江俊郎(おうみ としろう)
本名・大蔵 敏彦
1918年7月7日~1992年7月5日
東京都出身 歌手、作曲家、映画監督。
大蔵貢の実弟。姉歌手・香取みほ子。

本来は歌手で、ポリドールやコロムビア
キングレコードなどの代表的な歌手。
古賀政男の門下生でもあり「湯の町エレジー」
他100万枚を超えるヒット曲も多数出していますが
ウルトラ世代には、映画監督としてTVに出ていたり
司会やコメンテーター、歌合戦の審査員の
印象が強いかもしれません。
Qちゃんも映画監督だと思っていました(^^;
自身も主演や脇で出演もしていた。

この時期の近江俊郎氏の監督作品を、大蔵貢の日活>新東宝
へ動いてる年数と比較すると、富士映画松竹との
関係が垣間見れるます。

近江俊郎監督(製作)近江プロ
忘れないよ'55 
日活
歌くらべ三羽烏 '55 
日活
剣豪対豪傑 誉れの決戦'56 富士映画
坊ちゃんの逆襲'56 富士映画 
坊ちゃんの特ダネ記者'57 新東宝
 
坊ちゃんの主将'57 富士映画 
坊ちゃん天国'58 富士映画 
高島忠夫の坊ぼん罷り通る'58 富士映画 
坊ちゃんとワンマン親爺'59 富士映画
凸凹珍道中'60 新東宝
若社長と爆発娘'60 新東宝
爆発娘罷り通る'60 新東宝
弥次喜多珍道中 中仙道の巻'60 新東宝
社長と女秘書 全国民謡歌合戦'63 
大蔵映画 
東京オリンピック音頭 恋愛特ダネ合戦'63 松竹
その結婚異議あり'63 大映
この道赤信号'64 大映
006は浮気の番号'65
 日活

*近江俊郎監督は、他にも多数計30本を監督
製作としても24本、出演14本がある。

渥美清さんも、東宝から>国際放映
>松竹の看板映画映画の主役へと
活躍の場を移動している代表的な役者の1人です。

富士映画とウルトラマン

富士映画
S34年松竹外国部から独立した
松竹セレクト国際映画が富士映画に改名。
S36年新東宝倒産。*
S39年に、新東宝が国際放映に変更。
正式にはS58年に松竹富士(配給)
1999.8(H11年)解散。同年松竹大船撮影所も売却。

*S36~S39の実2年少しの間の新東宝の事や
撮影所を富士と呼んでいたと言う方が多いです。

松竹セレクト国際映画や、国際放映
松竹や東宝の本体ではなく、海外配給や
TV映画を区分けしたところです。


富士映画と言うと、ウルトラファンには
あまり知られていませんが
映画
ウルトラ6兄弟VS怪獣軍団
'74などの
配給の
松竹富士として、ウルトラシリーズの映画が
松竹系な事の方で知られていると思います。

*円谷プロがロケなどで使用する(していた)ロケ車輌の
会社名も富士映画ですが、コレは共同テレビと同じで
車輌部を別名称にしていないだけです。

 

松竹鎌倉シネマワールドinウルトラマン
1995年10月10日~1998年12月15日閉館
松竹創立100年事業で大船撮影所に作られた
映画のテーマ・パークでした。
柴又の街並みの再現や、寅さんのロボット
くらいしか目玉が無く、赤字が続き後半は
ウルトラマンも、かけつけショーなどを展開するも
わずか3年で幕となってしまいました。

              

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