ウルトラマンA
6話・変身超獣の謎を追え!
TACロケット研究所(第3研究所)のロケ地には 世田谷市場が使用されました。 下の写真が上の画で門からTAC隊員越しに見える建物です。
上の写真の部分は、小山親子が布団に入った後の 夜間パトロールで南隊員が歩いていた中央棟です。
敦くんと北斗隊員がなぜか?登って行く坂は 西側ランプの駐車場スロープです。
上の坂の下部分の写真です。 作中の位置関係は解りませんが、登るとロケ地的には 超獣から逆に逃げられない事になります(^^:
中央棟の向こうに見えるのが西側ランプです。 左の建物の窓から北斗隊員はレーザー攻撃しています。
北斗隊員が敦くんと作中的に登った建物です。 画面的に映るのは、ミニチュアがほとんどです。
小山さんを引き止める門も、同・市場の門です。 なぜか外側が内側?(2重?)に使用されていました。
門自体は新しくなって、新しい建物が出来ています。
小山さん(ブロッケン)が早足?で入って行くのが ロケ地的には、直ぐ東に在る清掃工場です。
図 設定的にはTACのロケット研究所として、市場と隣接する工場が 1つで描かれています。 北斗隊員が攻撃する部分(南棟)からしても ブロッケンが壊して出てくるのは、清掃工場のミニチュアですが 合成画面では、市場の西に超獣が立ってたりもします(^^; Qちゃんもココの中で、1度TV局時代に八百屋さんの取材で 撮影していますが、図の右にある駐車場の棟は まだ在りませんでした。
世田谷市場 昭和45年1月30日着工>昭和47年2月28日完成。 H10.12に西側ランプの新設は、あまり見た目は変わらないですが 強度の為、新設されています。
世田谷清掃工場 昭和41年10月 着工> 昭和44年3月運転 世田谷清掃工場は現在建替えの為 H14年9月に焼却炉を停止しています。
*市場の情報はBBSでも協力していただきました。*捜索中
東京都世田谷区大蔵1丁目4−1
環八・上用賀歩道橋
快獣ブースカ
15話・バラサで行こう! 28話・宇宙から来たんだ
ボスが車で技研前から逃げる後のシーンで、カメラに向かうのと 奥に行く行って来いで、現在の環八世田谷清掃工場の脇が 2カット使用されています。
28話・宇宙から来たんだ チャメゴンがブースカに捕まるシーンが撮影されています。
左画面の歩道をチャメゴンが歩き、右画面は上手を見てる チャメゴンのカットで画面では、周囲はまだ殆ど空き地です。 *歩道橋は老朽化の為撤去され存在しません。
ウルトラセブン
1話・姿なき挑戦者
セブンでも最初の検問に誘導するパトカー越しに誘導するカットで 環八・上用賀歩道橋すぐ北の場所がロケ地として使用されています。
2002年 木々が成長していて居ますが、まだ歩道橋が在ります。 検問で消される人は、ロケ車輌担当のSさんです。 シーン後半の消える部分は夜間照明の都合(35mm)か? 美センだったそうです(^^;
*歩道橋は老朽化の為撤去され存在しません。
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帰ってきたウルトラマン
16・17話・大怪鳥テロチルスの謎
第一病院
第一病院の門~建物前は、世田谷に在る NHK放送技術研究所を借りて撮影されました。 *当時の建物現存しません。
17話で松本三郎(石橋正次)が、バイクで来る背景に 図2●の「加藤酒店」の看板が見えます。
2002年には酒屋はコンビニに変っていました。図3● 1階の柱や2,3階の窓の様子は当時と同じです。図1●
02年 信号や脇の道幅なども、当時とは少し変っています。 *この建物も(コンビニを含む)解体され在りません。
2002年時のNHK技研の入り口は、世田谷通りからすぐで 当時の建物の西側に移っています。
16話でマットビハイクルが停まるのが 図1●の位置で、世田谷通リ側の噴水越しに 撮影しています。
図1 当時の技研の棟も東側部分は最近まで在りましたが ロケに使用された玄関部分●は 2002年3月新研究棟が完成前に姿を消しています。 上の地図は、昭和50年代のもので 撮影時の入り口は●にあり●正面には 噴水などのブロックが在りました。
図2 唯一、角の4階ビルは撮影時の跡が在る建物です。
図3 2002.3月完成の新・技研のビルは 西側の世田谷通り寄りに移りました。
NHK放送技術研究所
東京都世田谷区砧1丁目10−11
快獣ブースカ
14話・ブースカ踊る
TV局の玄関として少し使用されています。
15話・バラサで行こう!
黄金持主鑑定会場外観で、ブースカが 拳銃の弾を掴むシーンで使用されています。
SPECIAL THANKS 情報協力 フクシンさん 帰マン、ブースカ共に東宝系の監督さん で、局側の監督さんでは無いのも ロケできた理由でしょう。 当時は作品はTV映画であっても監督さんの 作品と言う見方が大変強く監督としての 地位や見方などは今とは、まったく違う業界でした。
山際永三(やまぎわ えいぞう)監督 1932年産まれで、新東宝で監督・脚本から 帰マン・タロウなどで活躍。 竹前重吉(たけまえじゅうきち)監督 宝塚映画*で、松林宗恵監督の助監を勤めたり 藤田まことのてなもんやシリーズや 江利チエミのサザエさんシリーズの 助監を多く経験してる事から、東宝側のメイン監督として ブースカに抜擢されています。(円谷側は満田監督)
*宝塚映画>兵庫県の宝塚映画製作所で作られた作品。 (宝塚ファミリーランド(現・閉園)内) 東宝映画・東急-宝塚映画・阪急と言う 西と東の系列で逆に黒沢作品や若大将シリーズが 宝塚に行き撮影されてるものもある。 東宝はPCLとJOと言う映画会社が 阪急資本で昭和12年に合併誕生。 PCL(日本科学研究所)S5年 日本初のトーキースタジオS7年誕生で有名。 東京発声映画撮影所(合併前の名称)場所的だけで 言えば後の東京映画撮影所(連合)の事で 千歳船橋にあった。 JO(スタジオ)S8年 京都の映画会社で大沢商会の大沢善夫が発足 そのイニシャルと言われてますが間違っています(^^; 太秦上刑部町にあった事から、太秦発声などとも言われた。
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