ブルマァク☆社屋跡

旧・マルサン(マルン)商店跡  光跡★

1969年4月に設立されたブルマァク
1972年3月に建てた新社屋と呼ばれた建物です。
ウルトラファト、帰ってきたウルトラマン
ミラーマンなどを経て、わずか2年で
建てたモノで、現在も浅草の
田原町に残っている光跡の1つです。

*この新社屋の前は、マルサン本社屋のあった
2ブロック北側(寿3-16)に、ブルマァクも在りました。
逆にマルサンの別施設は、ブルマァク新社屋から
かっぱ橋道具街通りを、南に行った所に在りました。



ウルトラ世代が、おこずかいやお年玉
だだをコネて、買ったウルトラマンや怪獣達が
建てた城とも言えますので、ウルトラ&
ブルマァク世代の方は浅草に訪れたなら
A~レオ時期の玩具は、ココから手元に届いた
ので是非見てみて下さい♪ 

*現在は、乾物問屋さんなどが使用されていますので
営業中は特に、ご迷惑をおかけしおない用にお願いします。

お子さまの夢を育てる・ブルマァクの文字看板が
当時の屋上にあり、向って右端縦に縦看板があった。

かっぱ橋の有名なコックさんの看板(図)の角から
交番の方向の並び、すぐにあります。

長い建物なので、通りの反対側から見る方がいいです。
東京メトロ田原町駅下車、上野方向に徒歩ですぐの図赤い■


ブルマァクの光跡

復刻と継続のメーカー
マルサンの金型や(後に新金型を追加)ブリキ、プラモを
表面だけを変更して販売しただけとも
アイディアや商品なども、マルサンの真似だとも言われ
メーカーとしての、オリジナリティにかける面も
確かにありますが、看板名は違ってもマルサンのメンバーも
居る訳で、ブルマァク側からすれば、真似と言うよりは
引き継いだ形のメーカーでもありました。

マルサンのヒット商品の再販潜水艦ミラーマンなどのプリントも出した)

ブランドとマーク
ブルマァクの功績は、商品や販売よりもメーカーの名前や
ロゴマークなどを、当時の世代には動物(バッファロー)
マークで、子供にも覚えられ、メーカーイメージを定着させた事や
営業方式を変えたカタログ方式などにありました。

今はTV局が自局のCMを流しても、商品が無い社名だけのものを
CMを見ても不思議では無いですが、当時はVANSONYなどは
自社名のブランド広告をするようには、なっていましたが
おもちゃ会社が今のように、大人が買うと言う事は無いので
子供がメーカーで、選ぶという行為は無かったので

会社自体のアピールをする事は、ありませんでした。

そんな時代のメーカー側のコピーは
ブリキの野村クルマの米澤とか
プラモのマルサンボードゲームはバンダイ
ありましたけども、商品の売れてるジャンル

アピールする程度のものでした。
ブルマァク以前の玩具メーカーにも、チラシ、カタログなど
宣材はありましたけども、問屋や小売店向けで
子供は雑誌などで見ても、店舗でオーダーするまではせず
「無いのか」程度で諦めて、別の物を薦められ買うのが

一般的な玩具店のやりとりで

メーカーのイメージ(打撃)までは無関係でした。

ブルマァクが少し違ったのは、自社メーカーの
名前やマークも、子供にもアピールした事で
カタログ・チラシ・ポスター・小冊子を商品に入れ、店頭にも
ポスターや巨大ソフビなどを置き、子供にアピールする

販売を行う事で、営業が動かなくても
カタログなどから、消費者や小売店からの
具体的な怪獣名や、サイズ(価格)のオーダーが

来る流れを生み出した事です。

当時の商店街には、玩具店が複数(3店~)ある所も多く
デパートのなどの競合があっても、価格は同じ時代なので
品揃えが勝負であった為に、玩具店では人気怪獣
ウルトラマンの在庫の確保と、新怪獣、新番組
情報に、子供以上に必死になって行きました。

ブルマァクの「マーク」など、存在を認識した子供達は
パチモノの臭いを、感じ取るようになった子も多く

今でも、古い玩具のパチとの違いの最初のチェックに
ブルマァクのマークがあると言う要素は大きく残っています。

ただの復刻メーカーではなかった。

帰ってきたウルトラマンの復活でウルトラマンを継続させた
牽引力の大きな要因の1つは、怪獣玩具であって
マルサンの型から復刻した、ブルマァクのソフビによる
古い型からの、新しい収入です。
そのスポンサーブルマァクが着いた
ウルトラファイトと言う古いフィルムの再編による
新しいミニ番組です。
この2つが無ければ、ウルトラマンの継続は
無かったか?もっと遅い時期の別のモノになっていたかも
しれません。
第二次怪獣ブームのマーチャンの
空前絶後の勢いは、TV番組に与える影響と
子供番組と玩具メーカーの関係の歴史にも
大きな意味を持つ事になっていきます。
タケダの1社提供の番組から、この関係の
パイオニア的役割を果し、ウルトラマンを
継続させたパワーは、ただの復刻メーカーとだけ
批判されるメーカーでは、けっしてありませんでした。

その後のブルマァク

ブルマァク倒産後、1980年代にもTプロ関係の所から
一部の怪獣ファンに、当時のブルマァクの金型で

製造したソフビが、少数ながら販売されていたり
クリーム色単色の、彩色無しのソフビなどが
出ていますが、一般に販売されたと言える数ではなく
1991年にバンダイ・ライフ事業部が
ウルトラマン生誕25周年記念に限定復刻で
10種のスタンダード*1体2500円で発売したのが

一般的な復活(復刻)でした。
*ベムラー、バルタン、レッドキング、ドドンゴ
シーボーズ、ゴモラ、ゼットン、ギャンゴ、カネゴン、エレキング

しかし、当時の感覚ではかなり高い値段で、仕入れていない
玩具店も多く、1.2年後には、半額以下で売れ残った

値札も目にしました。
スタンダードにやや遅れて、ジャイアントサイズの
レッドキング、バルタン、ミクラス、ツインテール
なども5000~5500円で発売された。

この失敗で、ファンの数と単価のバランスが
合わず、しばらく沈滞してしまいます。

 
 
その後、他の小メーカーなどからのレトロタイプのソフビが
発売され、特撮のブームと単価、ファン数の見当が

着き出した事と
ウルトラマンティガの復活などから1998年
バンダイ出版課で、1体4800円の毎月2種のソフビが
復刻怪獣シリーズとして、ブルマァクのヘッダーの
まま発売され・現在も継続中です。

*現在は発売不定期で価格も個体差があります。
他にもブルマァクのブランド名を表記しているものが
発売されていますが、メーカーとして再生された訳では

 
ありません。
当時のメーカーに居た
いしずき三郎氏

商標ブルマァクを現在は所有している。

1950年株・マルサン商店から~1968年の
マル倒産まであった浅草の寿町です。
現在の跡地は2分化され、完全な個人宅なので
当時の面影は、どこにも無い為、画像はセーブします。

*1923年田原町(後にブルマァク建つ)に、石田製作所として
マルサンの前身が設立され、1947年マルサン商店に改名
3年後株式会社となる。 *倒産時期の社名はマル

見かけは、ほんとに商店と言う感じで、1階の4枚扉の
真中上部にマルサン商店のプレートがありました。
向って左の奥への通路の入り口に看板があり
MARUSAN SHOTEIN LTD 株式会社マルサン商店
と書かれ、看板のセンターに電球があった。
2階を、主に社員の寮として使用し、1階の窓には
金網が当時のセキュリティーとして付けられていました。

*1階窓の金網は、ブルマァク新社屋の窓にも鉄格子が
付けられていて、持ち運べる大きさの商品と言う事と
当時は定休日は、小売店も問屋、工場も、しっかり休むのが
普通だった為、夜間と定休日の為の防犯だったそうです。

      本社屋跡

現在の、地下鉄大江戸線蔵前駅からすぐの
春日通りから入った所に、マルサンの木造社屋が
ありましたが、現在は静かな住宅やマンションの
建つ所で面影はありません。
倒産直前の1968年12月1日玩具問屋の株・松敬に売却
12月20日マルサン倒産。80年代後半に建物は解体。

マルサン商店の光跡



当時の増田屋・野村・ヨネザワの3大メーカーに対行して
キャデラックのブリキや、潜水艦で成功
プラモデル*怪獣ソフビなどの、初めての
販売メーカーとして、市場に挑戦したメーカーです。

ヒット商品も数多く、新しい材料で
玩具界に新ジャンルを起し、定番のジャンル
にまでしてしまった偉大なメーカー。
ウルトラシリーズを、玩具業界のマスコミラインの
大きな位置ずけにした最初のメーカーでもあります。

日本初のプラモデル?


プラモデルと呼べるのはマルサンだけのコピーが
有名でしたが、
プラモデルのネーミングはマルサンですが
プラスティックモデルの(プラスティクの組立てモデル)
の日本での販売が初かは、微妙な解釈と説がある。

プラモデルのネーミングは、単に
プラスティックモデルの略語との解釈も出来る事から
商標登録は数年で引き下げ、他のメーカーの商品も
プラモデルと名乗る事になります。

その引下げまでの数年は、他メーカーにネーミング使用を
禁じていて、広告にもプラモデルはマルサンだけと記載し
強くアピールしていました。

しかしコレは、ウォークマンやカップネードルなどと同じで
一般では、メーカーに関係なくプラ制の組立てモデル
プラモデルと言っていました(^^; 
パイオニアである、ヒット商品の宿命です。

ヒット商品の広告

怪物の玩具なんて誰が買うんだ?と言う時代に
子供向けに、少し可愛くして素材もキューピー人形など
セルロイドに変って、使用される事が増えてきた

ソフトビニールを使用して、少数からの販売が
TV番組の大ヒットで、売れ出したものの
1社スポンサーで、あった為と、子供の年齢層から
ウルトラQ(ウルトラマン)の時期は

広告や宣伝は、大ヒット商品にしては
あまり、打つ手が無い印象で終わってしまいます。

ウルトラマン時期(マルサン時期)の少ない広告。

ウルトラセブンになると、今井科学のサンダーバード
意識した、番組の設定とリンクして、年齢層も高くした
メカを中心の、プラモデルの広告に力を入れます。
ただ、ウルトラマンの続編的イメージを払拭出来なかった
セブンに、子供達が求めたのは怪獣ソフビの方で

プラモデルも、ホーク1号は売れましたが
他は、サンダーバードのようには行かず、主力商品の
スイッチに失敗。
スロッレーシングの穴埋めに、単価の低いソフビより
量産体制が可能な、プラモデルに期待しましたが・・・
番組の数字も右肩下がりで、社名の変更など
もがいても、セブン終了後に倒産してしまいます。

メーカーのインパクトは、ウルトラ世代でも
マークや宣伝方法で、ブルマァク方が強い人が
多いと思いますが、商品開発やジャンルの開拓など
玩具史上では、TVや映画とのマーチャンは
遥に偉大なスピリットの開拓社です。

その後のマルサン

68年倒産後の翌年69年には、再びマルサンとして再開。
オリジナル玩具を経て、ウルトラマンAからは、数点の
アイテムを送り出す。ブルマァク倒産後も小型部品などの
製造、日東科学との提携などを経て、現在も怪獣の復刻
玩具やレトロ感のある、新シリーズやオリジナル玩具を
発売して健在です。

現在のマルサンは浅草を離れ、品川区上大崎に在る。
*マニアは、69年後のマルサンを新生マルサンとか
68年までのマルサンを、旧マルサンと呼んだりして
いますが登記的には、株・マルサン商店と株・マルザン。

 

*文中厳密にはマルン(ZAN)と記載すべき所も
期間的に短い事や、現在の通称としてマルサンで
 通っている事からマルサンと記してる所があります。

 

 

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