ウルトラマン
19話・悪魔はふたたび
競技場の西側の実景に、合成された2体の怪獣のカットです。 下の画ではキャップ、アラシ、福山博士が見上げます。図● 厳密には図●ですが、東京体育館の新設時に 大幅に変わってしまった所なので、橋の一番西側 図●から撮影した写真です。 怪獣的には、わざわざこの狭い中で戦わなくてもと思いますが 画的には、よく入ってくれました♪な、カットですけども どこから入ったのでしょうか?・・・それも探求してみます(^^;
外苑西通り側、競技場的には正面メインスタンド側に なります。上にVIPやロイヤルボックス部分の2つの突起が あります。 ミニチュアでも、ロイヤルボックスの抜けから、怪獣が 見える角度なので、西側からは怪獣は入ってません。
快獣ブースカ 15話・バラサで行こう!
ラストのギャングを追う合成カットに登場しています。 ウルトラマンの時の 35mmフィルム素材を ベースとしての流用では無いかと思います。
霞岳広場
図● 科特隊専用車が、勢いよく走ってきて停まる所は 南側にある、霞岳広場です。 通称・この部分の広場を、明治公園と呼ぶ事が多く フリーマーケットや、車のパーツなどの販売などの イベントがあるので、Qちゃんも何度も行っていますけれども 厳密には、競技場の西側の部分と 東京体育館のある広場も含めて、明治公園と言います。
図● 今は、ベンチや白線はありませんが、ベンチは Qちゃんも記憶があるくらいで、跡もあります。 撮影ポイントは、日本青年館方向の上段からですが 脚立程度の高さではないので、ロケバスなどの 屋根の上から撮影したのでは無いかと思います。 写真は、普通に上段から撮影しているので角度が浅いです(^^; *ロケバスには、ハシゴと上に大きな機材を載せる キャリアが設置されている事が多い。
図● 広場中央部分の写真です。撮影当時は、外灯の柱の色が水色で その内側にベンチが在りました。 写真向って右が、真っ直ぐな縁石で、左が曲線を描いて いますが、コレは競技場の北側は鉄道からのアクセスで 南側からはバス・車のアクセスを想定した造りで (図参照・図の右上と左上に千駄ヶ谷と信濃町駅が在る。) 右のストレートな方は、科特隊専用車が停まる位置に バスサイズの白線が見え、左側にはよく見ると 車(乗用車)のサイズの、停止場所を示す白線が並んでいます。 今のように車が多くないマイカー時代前の案です。
外苑西通り壁
図●で、科特隊専用車を降り、2手に分かれて 行動する、キャップとアラシ、福山博士が 移動する壁は、図●外苑西通りにあった壁です。 科特隊隊員の頭より高いとこから短いレンズで撮っているので サイズが解りにくいので↓にサイズの解る写真を掲載します。
2002年には、まだ南側に少し残っていたアールの壁 ですが、1980年くらいまでは撮影当時と略 変わらず、図●の近くまで、長い距離に在りました。
この壁は普通に撮ると、人とのサイズ感はコレくらいで フジテレビが、まだ新宿河田町に在った頃は 週に最低5~6回は、この前を車で通りましたが 横一列に並んでテニスプレーヤーが壁打ちしていました。 *写真も奥(南)で壁打ちしている2002年8月の様子です。
図●の壁つたいに来た後、登る階段は当時は 明治公園橋の体育館側図●に在りました。 階段も、東京体育館が新築される時期に無くなり 南側に違う角度で造られます。 東京体育館・1964年東京五輪の会場として建設 1981年解体~1990年に新築されています。
キャップとアラシ、福山博士が、柵越しに光線を撃つ カットは、旧・東京体育館の四方の角にあった階段部分の 半円に突起したところを、背景にしています。図● 現在は、下のアールの在る壁や階段も無くなり 3人が立つ柵の部分は、コンクリートの壁になっています。
キャップと博士が競技場に向かい見上げるカットの 階段部分は図●の左側の階段です。(競技場を向いて) 左の階段部分は綺麗に造り直されました。
左の階段部分が、当時のままの写真です。 ココからは中の怪獣達の様子は、ホントは見えません(^^;
アラシ隊員が、原子弾を撃つバックの石垣です。 画面だけだと、アラシは立ってるように見えますが 横の石垣の様子と比べると、片膝立てての撃ってるのが 解ります。図● ただ、ロケ地的にはココから中の怪獣に 攻撃するには、競技場が近すぎ&障害になっているので 目を狙う以前に、中に入るアドバイスが必要だったかも しれません。 ただ、入るとハヤタが変身しにくいです(^^;
キャップと福山博士が、アラシにアドバイスを送る所です。図● 競技場に向って右側の階段上の角です。 この時の2人も、中腰以下の低い姿勢なのが壁の高さと 比較すると解ります。 写真右の石は新しくなっています。
キャップとアラシ、福山博士らの武器のエネルギーが 切れて、退避する所は当時の図■に在った公衆トイレ横です。 当時は、円形の建物でしたが今は四角になっています。 同じ角度からは、写真右の緑の成長があり、出来ない為 少し南にズレた位置からの写真です。
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国立霞ヶ丘競技場 2015年~解体。
2手に分かれた科特隊のハヤタとイデ隊員が 競技場のスタンドに入ってきた所です。図■ 厳密には、北側の電光掲示板が、少し見える位置の 24~22番ゲートのどれかなのですが、この撮影時には これより南側は、許可的に行けなかったので 写真的に似た感じに撮影しています。 ゲートの側面も下部分が濃い色の2トーンになり 座席など、当時より綺麗に改修されています。
ハヤタとイデ隊員が、攻撃する背景に照明が 見えるカットです。図■ 画がタイトすぎて、厳密な場所は解らないので 右奥にポールが見える感じを、似せて撮影しています。 作中で手前に柵があるのは、当時のシート分けの境に あったモノですが、今回はその柵の北側のみの 範囲なので、柵の直前から撮影しています。
ハヤタが変身するのは、聖火台の前辺りなのですが 許可範囲ではないので、左側に座席が見える アングルを、電光掲示板を居れて撮っています。 掲示板を消せば、ほぼ同じ感じです(^^; 電光掲示板・性能などは、新しくなってますが 位置は同じ北側にあります。 後楽園球場(70年から)のインパクトが強いので 飛行場の掲示板などが、電光掲示になる かなり前に導入されていてるのには驚きです。
聖火台前のスタンドです。 つまり・・・南側の階段から入ったハヤタとイデ隊員は この下の通路を通って、上の写真のゲートから出た事に キャップ側の西側も健在で、電光掲示板も最後に 壊すので・・・2体の怪獣は破壊せずに競技場に 入った事になります。 古代のカプセル怪獣ですから・・・ぺギラのように 煙になって飛べるのかもですが?(^^;
図 図●の位置から、2手に分かれる様子を ハヤタ、イデ隊員を青で、キャップとアラシ隊員側を赤の 線で表示してみました。 途中のロケ地の写真を、見ながらルートを追って 見るのも、ロケ地的には面白いと思います♪ *ハヤタは変身の為■で離脱します。 ある程度は、画的な事を優先していると思いますが 科特隊の車が、着いてからの行動パターンは ロケハンなどから、野長瀬監督がこの図の赤青線を シュミレーションしているのが、作品カットの順番からも 解ります。
ハヤタとイデ隊員が、かけ上がる階段です。図● 南側と北側に対称的な階段があり、2人が登るのは 南側ですが、その後にイデ隊員だけが マルス133を持って見上げるのは、北側の意図なのか? 意図だけでなく・・・撮影も北側かも?ですが~ イデ隊員の後ろの緑と太陽光からして 撮影は、両方南側の階段のようです。
ウルトラマンが、勝利した後のラストに イデ隊員が喜んで走ってくる所です。図■ ココからは、まったくグランドは見えないので どこから見ての、リアクションだったのでしょうか?(笑)
国立霞ヶ丘競技場
東京都新宿区霞ヶ丘10-2
国鉄(JR東日本)中央緩行線25 外苑通ガード
1966年当時は、パトカーの後にまだ壁が無く 歩道も広くタイルですが↓歩道の幅は狭くなり 両通行のセンターラインが引かれます。図■ *壁の中・首都高千駄ヶ谷補修基地(上が首都高4号)
2002年のパトカーを先導に科特隊専用車が工事現場へと 向うシーンの場所図■です。 写真奥は千駄ヶ谷駅方向。 千駄ヶ谷駅方向から来て、図■のポイントを左折 ガード下を潜って、新宿御苑の方向に行きます。 作品的には、競技場の近くと言う意味合いは無く 工事現場は、旧TBSの赤坂で撮影されています。
奥に見える橋は「外苑橋」で、その奥に 旧・国立競技場が在ります。図■ 左折方向新宿御苑・南です。
2002年の同左折時に見える競技場方向です。図■ 手前の上は首都高速道路の高架です。
国鉄のガード下を行く科特隊の車。図■ 柱の鉄骨は当時のまま残りますが、下の部分が 緑に塗られ、柱の間も補強されています。
抜けに見える左側の緑が新宿御苑(南口)です。
国立霞ヶ丘競技場
旧・明治神宮外苑競技場の跡に建てられた 国立霞ヶ丘競技場は、宇宙大戦争の国連施設や スピップ号の発射場としても使用されています。 第1回インド、ニューデリー・第2回フィリピン、マニラに 次ぐ、第3回アジア競技大会が1958年5月(S33年)に ココで開催されていますので、宇宙戦争撮影時期的は 完成直後の国立競技場が映されています。
東京オリンピックは 1964年開催。
宇宙大戦争(1959年)
東宝 本多猪四郎・円谷英二 国連の施設として通路や階段西側が使用されています。
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