奈良丸博士が方を向いていた方向
北でも南でも無く…開けた方向でも無い方向 奈良丸博士が屋上から見ていた方向には 旧・東京東宝(寶)劇場がありました。図1●
画1
画2
撮影当時の旧・東京寶(宝)塚劇場 終戦後の第一生命ビル接収は 有名ですが、この劇場もまた米軍に接収され東京寶塚劇場の看板が 降ろされてアーニーパイルと言う名前が掲げられていた。 もちろんサンフランシスコ講和条約後のGHQ解体で 独立国と成ると、再び東京寶塚劇場に戻されます。
現在の宝塚ビル図1●
1934年東京での宝塚歌劇の劇場として完成。 1944年には、戦争により風船爆弾工場として使用 された悲しい歴史も、バルンガ(風船怪獣)の 最後のシーンのロケ地に選択した理由だと Qちゃんは思います。 1998年に画面の建物は無くなり 2001年に新しい今の劇場がオープンしています。
楽しいはずの風船までもが、恐怖の対象にしてしまった 戦争と、命令とは言えその工場として使用された事は どこか宝塚、東宝グループの悲しい1コマだったのかもしれません。 *風船爆弾・S19年米穀本土に対し、気球に爆弾を着け 気流に乗せ爆撃。6万とも7万以上とも言われる数を造り米本土に 277個ハワイ他に少数が落下と、率は当然率はよくなかった。
スケッチ画・Qちゃん 右手前が東宝会館、その奥が有楽座、日比谷映画で 有楽座や、日比谷映画の上にも東宝の丸マークの看板と 博士の後ろにあった貯水タンクが見られた。左手前が宝塚劇場。
旧・有楽座(現・日比谷シャンテビル)
在りし日の有楽座図1● スケッチ画・Qちゃん
現シャンテ有楽座は旧ニュー東宝シネマが名前を変更 継承して別の場所にあります。有楽町2-2-3
旧・日比谷映画(現・日比谷シャンテビル)
スケッチ画・Qちゃん 旧・日比谷映画、その奥に有楽座、東宝会館と続く 日劇の次に好きな映画館でしたが、晩年は正面上の 左右の窓が埋められ一階入場口付近も、改造され あまり色気が無くなってしまいました。 画左上屋上に博士の後に見えた同じ貯水タンクが見えます。
日比谷壕・日比谷公園へ
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ウルトラQ
バルンガ
東宝・東宝会館(本社ビル)
バルンガラストの病院屋上は 旧・東宝会館(本社)屋上で撮影されました。図1●
2005年解体工事中で、千代田劇場・みゆき座 芸術座・日比谷映画なども2004年に幕を降ろした。 *07年11月に新ビル完成予定。 *東宝本社自体は、長く銀座通りにありましたが 東宝会館に移転、砧撮影所本館に移転されたりと 時期で異なりますが、この時期は本社でもあります。 芸術座・千代田劇場・みゆき座の3つが入る東宝の 表舞台の大黒柱。
図A
最初にこのシーンで、3人の医師が居るのが図Aの 水色(人型)の位置で、後に東宝マーク(裏なので点が逆) が見えるのは、*スカラ座の上のマークで画面フレーム右側で 屋上図Aの赤い■の屋外社殿(小さい神社)を映さない ようにしています。 *スカラ座・宝塚劇場隣 次に奈良丸博士のウエスト・バストショットは図A緑 の位置で、背景に建物のパイプ(青ライン)が確認できます。 しかしナースが呼びに来た時の、3人の医師は図A紫の 位置に居て、屋外社殿の斜めのライン(黄色)を跨いで います。そのさいの博士の位置も図A黄緑に移動していて 引きの画の奥の距離に、先ほどのパイプが見えます。 さらに万条目とユリちゃんが、博士の左右に位置する ウエストショットでは、黄緑の位置よりさらに移動 グレー人型の位置にいる為背景の建物が完全に違います。
図1 3人の医師の東宝マーク左に見えた、工事中のビルは 日比谷三井ビル●で、S37年や撮影当時の東宝の 資料や航空写真でも工事模様が、確認出来ます。 世界大戦争(1961)の日比谷公園のシーンでも 日生ビルの工事の様子が見えます。
図2
2005年↑有楽座と日比谷映画はシャンテに統一されます。
旧・日比谷映画街 スケッチ画・Qちゃん 手前右が東宝会館・左が宝塚劇場でその隣接した奥が スカラ座で、その上の東宝マークが画面に映っていた。 東宝会館も晩年は白い化粧板で覆われ、味気なくなり 宝塚劇場は、1958年の火災後は明るいクリーム色の 外壁になります。
日比谷☆劇場街 かつては東宝系の大劇場が建ち並び、映画や演劇の文化の 華が咲いた街でした。今でも新しい建物はあるのですが… シャンテになった、日比谷映劇や有楽座、本社ビルの 千代田劇場、芸術座、みゆき座、東京宝塚劇場や日生劇場 日比谷スカラ座、スキヤバシ大映(ニュー東宝シネマ) などの劇場カラーがハッキリした館が並び 外観もみな味がありましたが、1984年の再開発で 有楽町の日劇と共に、新しくなり綺麗にはなりました。 雰囲気や外観は84年より前の方がQちゃんは好きでした。
東宝会館(本社)ビルは、ウルトラ1期の頃はまだ 5社協定も効いていて、東宝の役者さんだった 黒部さんや菱美さんなどは、ここまでギャラを受け取りに 来ていたそうです。振り込みより、手渡しが当り前の時代ですが 美センや円谷プロと東宝撮影所の距離を考えるたら 東宝撮影所でもいいのに?と話を伺いながら思ってしまいます(^^;
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