ウルトラマン
33話・禁じられた言葉
メフィラス星人が、サトル少年を誘惑する宇宙空間との OLのカット(の宇宙)も、ココで撮影されました。 *OL>オーバーラップ(2画像を重ねる事)
上の写真ビル屋上の白い半球ドームがプラネタリュウムです。
ウルトラマン80
37話・恐れていたバルタン星人の動物園作戦
宇宙観測センターとして使用しています。
五島プラネタリウム
五島プラネタリウム(01.3閉館>取り壊し>現在はありません) 東京天文台の要請を受けた 東京急行電鉄の五島慶太会長が設立。 特徴は投影中に、肉声で星空を解説する事で 録音を流す形がほとんどになっても続けられました。
S44年頃に五島光学から全天全周映像の依頼を 円谷英二さんの弟子、うしおそうじさんの ピープロのアニメスタッフが手がけています。
近年ではウルトラマンティガ光の子供たちへ などの オリジナルストーリーも 企画・制作 五島光学研究所・バンダイ・円谷プロが 全国のプラネタリュウムで公開されていました。
*1937年円谷英二さんが、東宝へ京都から来る少し前に 砧撮影所表門から、渋谷までの路線バスを東急電鉄に 新設して40分で渋谷まで行けるようにしている。 *玉電(東急)砧本村駅はすでに在りましたが、砧撮影所や 美センから渋谷に出るには、乗り継ぎや本数の関係からも 大変不便だったそうです。(^^:
また、この建物の建築残土が、ブースカや 帰マンのロケ地浄真寺にあった池を 埋めるのに、使用されたそうです。→GO
*ロケ隊の集合場所としても 新宿スバルビルや成城、有楽町の交通会館と並んで 有名で、平成のウルトラシリーズも ここの下に集合してロケに出かけていました。
正式名称 東急文化会館 東京都渋谷区渋谷2-21-12 鉄骨鉄筋コンクリート、地下1階地上8階建 開業年月1956年12月
1956年12月1日 開館 1957年4月五島プラネタリウム営業開始 2001年3月五島プラネタリウムを閉館 2002年5月解体発表。 2003年6月完全閉鎖 跡地>現・渋谷ヒカリエ
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ウルトラセブン
37話・盗まれたウルトラアイ
1 マヤが発信するエキストラの多い画面 2 星の画面 3 解説者の画面 以上の3画面(カット数ではなく種類)のいずれか もしくは3種ともが撮影されたそうです。 1の背景にはU警備隊の作戦室パネルDが使用されて 居たのが確認できます。 *Qちゃんはドーム内壁にパネルを黒が溶けない ように工夫して立てかけたのだと推測します。
38話・勇気ある戦い
偽の交通情報を流すアナウンスシーン。
マイクもアフレコ時代にも、放送局などしか 無いようなマイクなので、貸し出しに保険などの システムが無い頃、美センなどに輸送するよりも 五島の机後にパネルを置いての撮影しただと思います。 メインの役者さんなどが、出られてないシーンで39.40話の 大きな撮影を中心に予算など工面してる事からも (いい表現では無いかもですが・小モノとか言います) 助監督さんなどが廻してるようです。
解体後の跡地(2006年)
東急東横線渋谷駅の地下化工事の 作業基地として使用中の様子で、その後ヒカリエが建ちます。
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