楢俣ダム(ならまたダム)現・須田貝ダム

光跡★ロケ地

ウルトラQ

ガラダマ


一の谷博士が小石を投げて、少年に説明したりする
一番撮影カットのある図1の部分からの楢俣ダムの角度です。

   図1
一の谷博士が少年に説明しながら歩くバックの
楢俣ダムと抜けの山並みです。
手前の木が育ったのとレンズの違いがあるので
少しズレて似たサイズで、奥の山に合わせて撮影しました。

   図1
綾子が、友達にダムで沈んだ家の説明をする時に
登っているダムのブリッジです。
もう少し左から望遠で撮影していますが
今は木が育っていて無理なので
望遠で狙える一番近い角度からの撮影です。

    図1
ヘリで来た淳ちゃん達と一の谷博士が、少年らと歩く
バックの山と、休憩場があった所です。
黄色い石のようなモノは、もう在りませんでしたが
ピンクの位置には木の間から発電施設が、今も見えます。

  図1
作品カットのサイズだとで見えませんけども
木の隙間からは、今も同じ位置に設備が見えます。
作品的にはガラモンがミニチュアで破壊します。

   図1
図1で発見者の少年と逢った一の谷博士
少年達に、隕石の質問をされながらカメラ側
歩いて来るバックも図1で、カメラを図1方向に
振った画です。 今は道が広がり舗装された関係で
撮影する角度が難しいです。
左に見える休憩場の黄色い標塔は今は無く
同じような位置には鉄の棒があるくらいです(^^;

    図1
道幅も舗装され太くなっていますが、峠を歩いて登る人も
ほとんど居なくなったので、この場所にあった
休憩場所は今は無く、ただの二股部分になっています。
*左側はダムへの専用路で立ち入り禁止です。

   図1
ガラダマを、荷車で運ぶ少年達のカーブする道のカットです。
作中で奥に見える道からも図1の位置です。 道幅が
舗装になる時に広くなってるのが、比べると解ります。
*上の写真の右奥に見えるカーブ。

   図1
ガラダマを運ぶ途中で、押す子供が増えて
楢俣ダムをバックに上手方向に行くカットです。
今は手前の木が育ち、見え難いですが
ギリギリ一番低い場所にダムが見えます。

図1の位置で、実際はけっこう下り坂で右方向に橋が在ります。

図1
上はサイズ的に解り難いかもなので
同位置からのダムの拡大画像です。
図1から図1までも、地図以上に起伏があるので
距離はかなりあります。 当時軽い荷車だとしても
未舗装路の谷間でのロケはガードレールも無く
子供が、何度もテストするのは大変だったと思います。

2つ出てくる橋の小さい方は、昔下流にあった
そうですが、今は残念ながら無いそうです。
つり橋タイプの方は、解る方が居ませんでした。

須田貝ダム(すだがいダム)

旧・楢俣ダム
群馬県利根郡みなかみ町藤原  


着手・竣工 1952・1955年 ダム湖名 洞元湖(どうげんこ) 
日本初の地下発電所が地下70mにある。


東京電力のTEPCO電源PR館・須田貝図1

 

 


ガラダマに登場する熊谷ダム
実在の楢俣(ならまた)ダムです。
1990年に須田貝ダムと正式名称を変更しています。
撮影当時や昭和は楢俣ダムでした。

写真は図1●からの撮影で、ダムの形状や位置は
変りなく存在しています。


図1から見た図1の位置です。ダム
巨大差から距離が解り難いと思いますが
図1のように下流から回り込み急な坂を
登って行かないと図1へは行けません。

  図1
図1の赤い道は関係者専用で
黄色は限定条件付き道路で、期間や天候、雪
路面凍結水量や放水などで橋(図下部)に在る
 ゲートから先は通行出来なくなります。

楢俣ダムの名前の謎?



長くガラダマのロケ地のダムは藤原ダム
されてきましたけども、ココ12~13年は須田貝ダム
修正され落ち着いていたのですが、今年(40周年)
特別見せて頂いた資料の中には、東電・藤原、
楢俣ダム(ならまたダム)と記されたものがありました。

奈良俣(ならまた)ダムは、図2のように須田貝ダム
奥にありますが・・・
楢俣ダム>奈良俣(ならまた)ダム図2文字が違います?
奈良俣ダム1990年完成なので、ウルトラQ撮影時には
あり得ない為・・・調べると、須田貝ダムの当時の名称が
楢俣ダム(ならまた)だったので、文字は違うものの
読み方が同じな為に、奈良俣ダム完成の時に楢俣ダムから
須田貝ダムに変更されたのが解りました。

図2

水と共に北上したロケ地



ガラダマの特撮の見場は巨大隕石が落下し
谷間に出来たダムの水を溢れ蒸発させるスペクタクルで
ガラダマモンスター自体は、台本的には特に動き回る事も
無いのですけども、デザインがあまりに独特だった為に
画面ではモンスター出現後のインパクトが上回ります。
準備稿ではガラダマの谷


当時、台本で重要な谷間のダム湖を探して
東京から大きな河を遡ってロケ地を想定した
シナハンが行なわれます。
しかし1965年は雨水の不足から、雪解け水の
期待出来るを待ち、利根川上流を登り
撮影は4-5月決まっています。
ガラダマ落下で、蒸発した後のカットは藤原ダムですが
作中の集落が沈んだモチーフも、藤原ダムなので
当初は、全部藤原ダムの予定だったのかもしれません?
撮影時に下の藤原ダムには水が少なく(無く)
上の須田貝に、やっとあったそうですから
シナリオ想定から撮影的には変更されたのかもしれません。
*シナハン・台本の下見

旧・水上町藤原集落

旧水上町藤原集落水没面積が大きい事から
ダム建設に対し強固に反対しましたが
1957年に補償交渉妥結。 1959年に完成した事で
藤原集落159戸が、ダム湖である
藤原湖(洞元湖)に沈みました。

奥の奥の奥の谷

ガラダマは、準備稿ではガラダマの谷ですが
利根川の両側からの傾斜で、V字の谷が続く
奥に在ります。
こんなに深い山奥だとは思いませんで…(^^;
とにかく遠い~~~~です!
新潟も水上も、何度も撮影や私的にも来ていますが
ある意味神戸より遠い気がします(^^;

今なら、高速もあり道も舗装されてますが、深い奥利根に
1965年の時点で関越も無く、車の性能も良く無い時代
30分の番組で来るロケ地では無いです(^^;


1980~90年代のQちゃんが居た映画やTV界でも
まずダムと言うだけで選択する場所では無いですし
高速が無い時代だと、今の距離感覚の3倍くらいは
遠い所だったのでは無いでしょうか? 

ダムの物資を運んだ道は、あるだろうと思っていのが甘く…
かなりタイトで、地図の平面では解り難い
河に合わせた登りが延々続く道は、ワインディングが好きな
Qちゃんでも、渓谷の左右からのV字の圧迫もあり
ほんとに奥に感じました。

30年代の大先輩である映画人の凄さと
今も変らぬ自然を再認識したロケ地でした。

準備稿ガラダマの谷の表紙デザインも
まさに鋭角な谷を表しています。

          

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