美セン(東宝ビルト)  

It was one of the Ultraman series studio
    It disappeared in 2009.  
光跡★

   美セン(東京美術センター)時代  

*ステージ>フロアが土だった事もあり
映画時代のスタジオの事で・箱とも言う。

1960年代の美セン施設


ウルトラQ~ウルトラマンメビウスが撮影された
世田谷区大蔵に在った撮影施設です。
*タロウ後半~レオ時期に、設備増強され後
東宝ビルトに改名

図1


美セン時代は、主に5つのステージ(グレー部分)と
昔からの時代劇のオープンセット(紫部分)
スタッフルーム(オレンジ部分)
温室(右下・白部分)がありました。
*緑の部分はセブン放送開始くらいに出来た建物です。

右のが、美セン時代の出入り口で東側にありました。
*ビルト時代は北側に出入り口が移動します。

美センとは?
正しくは美術センターの略した呼び名です。

東宝ビルトの前身の名称に、美術センターと書いたモノと
美術センターとの記載がありますが、正式には
美術センターで、美術センターは誤記になります。


会社登録的に東京美術センターが正しいのですが
東宝系列の美術センターな事と、美センと略して呼ばれた事が多く
その後の同施設の名称が、東宝ビルトに変更した為に間違いやすい名前です。


美センは完全に略したあだ名なので、何から短縮したかでは
東宝系の美術センターなら間違いでも無いのですが(^^;
正式なフルネームは、東京美術センターでした。

美セン誕生の地(名称の歴史)

東京美術センターは、資料によると、千歳船橋の

東京映画撮影所(上画)の所内に
S37年10月に設立されています。


それから、ウルトラマンを撮影した大蔵の地へ移転しますが
移行日の明確な資料は無く、進行中の映画の作業も
重なったりしていて、
徐々に段階を経て 
その機能や機材などを移しいったそうです。
ハッキリした移行日は、解りませが、
ウルトラQの撮影は大蔵
美センですから、設立から
約2年ほどで、千歳船橋から
大蔵に移転しているのは確かです。

初期のA・Bステージ誕生時期


美術センターの敷地は、元々は撮影所では無く
時代の流れで、テレビ用のステージが2つ作られる事が
スタジオ化への初期でした、その最初期が
図1A・Bの2つの箱でした。
*砧撮影所(が番号だった)と区別する為もあったようです。
   美センAステ立体化へ
Aステージ
特撮とは関係ない学園モノや時代劇の撮影が主に行なわれた。
Bステージ
(後の2番ステージ)が、ウルトラシリーズの特撮班メインステージに
なったステージで、東宝ビルト時に建て替えられた後も位置的には
この場所にあるステージが、円谷特撮のメインステージとして
存在していました。図1●・メインステージ

1~6ステージ(NO)時代へ
ウルトラQから特撮のメインは図1Bのステージでしたが
図1の3と書かれた資材置場を、改良した建物にも、手を入れて
3番ステージとして使用し、特撮のサブステージとして使用されます。

Qの途中から3番、5番、6番と言われるステージが増えて行きます。

ただ、A・Bのように、スタジオ前程の建物では無いので
天井の高さは無く、トタンの音はアフレコでも雨が降ると相手の声が
聞こえないほど、ステージとしては無理をしていた時期でした。
*4は番号的に無く、3と6の間の5は小さいのと
6に建物的に結合されて行きます。

1番ステージ・図1のA、番号に変わっても特撮以外の作品が使用。
2番ステージ・ウルトラシリーズの特撮班メインステージ。
3番ステージ・Q、マン時代はサブ的存在で、建材などの倉庫の
       改造した建物だったのを、セブンの頃屋根の片側を
       上げ、前室が増築されます。
5番ステージ・図1の3と6の間に在った、小さいのと6番に建物的に

       結合される。
6番ステージ・セブンのドラマ班が主に使用したステージ。
       1.2番より後に出来ても、建物としては良くは無かった。
*4は番号的に無い

科特隊作戦室のステージ(?)
3番ステージの南側にあるスペース(全体の一部分・図1)を
科特隊の作戦室として使用していました。
本来は、セットなどを畳んで保存するような、倉庫の小スペースで
撮影をする場所で無かったのですが、作戦室は常設セットの為
当時の建物の解釈からも、そのスペースで撮影していました。
この建物(の部分)は、リフォームはされますが、スタジオで無い為に
逆に、東宝ビルト以後~閉鎖されるまで存在していました。

図1、3番ステージの角には、ウルトラマンの放送開始前に
シャワーや風呂(リニューアル)の設備が図1・3番角
備え付けられ、ウルトラマンや宇宙人の控え室も図1のオレンジ
建物2階に用意されて、ウルトラQ時期より改善されます。

マーチャン用3面スチール
ウルトラマンの撮影初期(ウルトラQ放映時)は、まだマーチャンの
段取りが確立してなかった為、セブンの頃のようなマーチャン用の
*3面写真は無く、ドドンゴやペスターの頃から撮影するように
なります。 美セン外の北
図1の空地でなど撮られていますが
ペスターの頃は、まだ空地ですが、バニラザラブ、ヒドラの頃は
同じ場所が畑になっています(^^;
*3~4方向からのフルサイズ写真で(カラー)で撮られた。
山勝
空地が畑になってしまった為、ケムラー、ジャミラ、ギガスなどは
図2の位置で撮られていますが、正面が南向きの方が
よかったのか?後半は
ウルトラセブン時期のU通路制作の資材?
にもなる、廃材の山が凄かったそうで

キーラサイゴ図1の西側の空地で撮影されています。
この他、美センの内外周囲で撮影されたスチールは多いので
ブロマイドや専門誌の背景を
図1と照合してみるのもお薦めです♪

美セン北の道路は、セブン~帰マン時には舗装され西側に伸びていますが
1期の始めは道の
境界の壁も東側角から少しだけしか無かったそうです。

美センの歴史・2(場所としての歴史)
大蔵の地での元は、まだ戦後は、ほとんど田舎だった砧で
山中の
撮影などに使用されていた場所で昭和20年代後半
黒澤明監督「七人の侍」で、近くの仙川(現・大蔵団地周辺)の
土地を
ラストシーンの村に作り変えた時に

その小屋を作ったり美術準備や馬・機材のスタンバイの場所が
後の美センに略近い(重なる)場所で行なわれ
ました。

その後、黒澤作品「用心棒」(1961年)のOPセットを図1紫の辺り
制作した事から、同作品の美術製作小屋や、スタッフの控え室が
トタン小屋などで作られ、設備的な集合地になって行ったのが
大蔵の地が
美センになる始まりとも言えます。
後のウルトラセブン(七)や、怪獣用心棒などの発想の源は
この地ならではの案なのかもしれません・・・

その後、主は美術センターであり撮影所では無いのですが
シッカリと作られた、用心棒の町セットを直しを入れて再使用したり
高台だった事から、抜けに現代(当時の)人家が映らない事から
オープン撮影に使われる事も増える一方で、美術倉庫としての
保管や制作の
場でもあったそうです。


テレビ映画の時代
劇場映画が衰退する30年代後半、テレビ映画の撮影の波が
東宝にも押し寄せますが、
当時は、電気紙芝居などと言われた
テレビ映画は、砧の撮影所では
(予算的にも)制作出来ず
格下に見る方からは、本編の撮影所を電気紙芝居に使用させるな
との声からも、砧撮影所の外で撮影する為、TVの
*学園モノなどは
美センの敷地内に、小屋に照明やセットを建て撮影し始めます。
その需用と、収益からステージと呼べる規模の建物が
1つ2つと建てられたのが、初期のA・Bステージでした。

そんな頃、東京美術センターは千歳船橋から大蔵に移転
ウルトラQも、TBSと円谷特技プロの制作で、大蔵の美センを
ベースに撮影が
始まります。

*1965年10月~青春とはなんだ!も、美センで撮影され
平田昭彦 二瓶正也 阿知波信介さんらが出演されていました。
*Q撮影時期なので、着ぐるみなど対面していたかもしれません。

もう1つのA・Bステージ
もう1つ、証言上混同してしまうのには、円谷(特技)プロの
割り振り上にも、特撮のA・Bステージが存在しました。
古谷さんがスーツと写るスチールの横の「B」は、特撮ステージのBで
美セン的には、まだステージにカウントし難い倉庫でした。

 
3番(B)ステージQ、マン頃(左) 
殆ど場合2番のBステージ特撮Aステージ(メイン特撮セットが在る)
3番のステージBステージ(サブ・特撮セット)と呼ばれた事で
美セン、呼び方の初期の2つのステージの残りA/Bと、重なる事から
証言や、資料の記載が解り難くなってしまっています。
画・3番 サブステージ(左扉内部が科特隊作戦室)

ウルトラマン撮影前のカラータイマー無しのスーツ写真や
ベムラー、レッドキング、アントラーの試着写真が、この3番の前で
撮影されていますが、まだ「B」の看板は付けられていません。
ベムラー、レッドキング、アントラーは、3ステ前の比較的奥の北側
ウルトラマンは、手前(南)よりで試着しています。
 
 ウルトラQ・パゴスのトラックが山道で襲われるシーンは
Bステージ・サブの3番ステージ(上画)で撮影され
ラストの原発のある石膏ドームの建物の町は
Aステージ・2番ステージに組まれ撮影されています。

ウルトラマン、ドドンゴの回もAステージ・2番がペスターの
コンビナートセットを組んでいた為に、Bステージ・3番
ウルトラマンとの戦いを、撮影しなければならず
元々スタジオでは無い建物なので、床の土を大きく掘り下げて
大きな2人用のドドンゴと、空の高さを稼いでいます。

また、悪魔はふたたびも、特撮の遅れから3班体制になった時期で
円谷英二さんが、事実上指揮をしたと言うセットも
Bの3番ステージが使われています。

  ウルトラセブンの頃  

B>NO.2(Aステージ)
美センとしては、ステージは番号で呼ぶだけになり
円谷プロの特撮ステージとしては、Aをメイン、Bをサブとして
2番・3番ステージが使われます。


2番ステージ(特撮メイン・Aステ)マンの頃からの変化は
メイン東の扉に、小屋根と暴風漏れ用の板が左右に着きます。

セブンの制作発表で、英二さんやゴドラ、ミクラスが
居るのも2ステの中のです。
セブンは当初、海洋モノと宇宙モノも展開の舞台に想定していた為

常設(に近い固定した)プールを、平台の下に作ったので
制作発表などは、上に板を敷き詰めています。


 
図2   左に3の文字。図2

特撮サブステージ>NO.3
Q、マンのヒットでセブンの放送準備期間に、屋根が高く上げられ
特撮Bステージは、美セン的にも3番ステージになります。 
前(東側)に暴風、漏隠しも兼ねた前室も増築されます。図2 3・B
 画・3番(B)ステージ
3番(と4番の間)は、左のイラストのガッツ星人が南を向いて
前室外に立つスチールでも、頭部の左に「3」の文字が見えます。
零下140度の対決時も金城、満田、フルハシ、ソガ、アンヌ
集合写真や、
ダン、円谷一、セブン、ソガ、アンヌの集合写真が
同じく南向きで撮られるなど、多く写真が残る所です。図2 3・B
 

 スタジオの姿を解りやすくする為に、省略していますが本来は角に
大きな木があり図2
その角の東側にウルトラマン放送前に作られた
風呂小屋がありました。図2 3・B
風呂小屋も書き込むと、ゴチャゴチャしてしまうので、略していますが
木の根元や、3ステの壁の前でも、セブンの宇宙人のスチールは数多く
撮影されています。
ガイロスは風呂小屋の側で撮られた写真があります。

ウルトラセブン放送開始前に作られた
2番~3番の間の*U部分は、V3の通路などに利用予定が
あったようですが、宇宙モノの要素が縮小された事から
U警備隊の廊下は、5~6番作戦室近辺だけだったそうです。
*宇宙人などの基地の廊下に1.2度使ったかもしれない。

ウルトラ警備隊の6番ステージ
  
美センの門にも近い6番ステージは、大きい建物でしたが
錆びた茶色のオンボロの建物でした。
そんな中に、日本中の子供が憧れたU警備隊の作戦室セットや
手動だけど自動ドアが置かれ、撮影されていたのは驚きです。

*本来は大型の美術(パネルなど)を制作して搬出していた
建物だそうで、その為門にも近くメインの扉も大きいサイズ
だったそうです。 また建物前には大きな木が数本生えていました。


セブン放映に向けて、Q・マンの大ヒットで3番ステージが
ステージと呼べるくらいの屋根や前室が作られた事で
その横の建物も、手が入れられ、5・6番ステージとして
可動する事になります。
その6番ステージに、ウルトラ警備隊の作戦室セットが
常設される事になり、同ステージ内に基地廊下や
参謀室・メディカルセンターのセットが用意されます。
*作戦室以外は畳まれ保管された時期もある。
5番ステージは、小さいですが科特隊とは比較にならないメカの
コックピットが置かれる事になります。
*気候(温度)や、照明の都合で、6番に空きスペースがあれば
6番に操縦席を組んだり、
マイティジャック国際
栄スタジオから移転した後は、ランダムに対応しています。

 門 ・守衛所 

ウルトラQ、ウルトラマンの頃の門は銀色の鉄格子で
セブン途中で黒に、塗替えられています。
門の守衛側だけ、人が出入り出来る1m程が開閉する鉄格子で
他は北側にレール上を、スライドして開く門でした。


東宝ビルトになってからも、80年代は門が東側にありました。
そこにも角が斜めになった、新しい守衛所が
 一応あり~閉鎖までモノ自体は存在していました。


  
北門になった後も東門の縦型看板は残っていました。(左)
ビルト時代の守衛所・90年代~使用されていませんでした(右)

撮影前(間)の怪獣は、3ステから図1が近かったのかも
しれませんが、
撮影後の怪獣は、旧正門前の外
黄色
お店の前などで撮影されています。
有名な耳が破壊されたギャンゴとガバドンBの2ショットや
ウルトラQのイベント帰りか?
ゴルゴスの立ちポーズや
M1号がロケバスと共に写っている写真が現存しています。
旧・守衛所   丸昌(後・守衛所)
守衛所は、美セン時代の東側の門のすぐ右に在りました。
ブロックを積んだ壁に、モルタルを塗った簡単なモノで

窓が東・北・西方向に付いていて、小さな外灯が
北側の窓の上にありました。
上のカード・
ペロリンガ星人の立って居るのは
美セン内側の守衛所の南側すぐの所です。
ペロリンガ星人の右の方に、少し行くと掲示板がありました。

スタッフルーム(フクシンさんアパート)


図1オレンジ(6ステの下)の建物も、リフォームはしていますが
美セン初期から~閉鎖まで存在した建物です。
主にスタッフルームや出演者の控え室に使用されていました。
閉鎖前は、なぜか派手なピンクに塗装されていました(^^;
ウルトラマンからは、宇宙人など(形による)の着替えも
この建物内で8割程装着してからステージ内で、打ち合わせ後
完全装着する形になったそうです。

またセブンではフクシンさんのアパートとして南側にポインターが
送って来るシーンらが撮影されています。

美センリフォーム


ウルトラセブンの30話撮影前後に
屋根のリフォームが行なわれ、色も緑に塗られました。
この時期の特撮は、放映順と少し違う撮影順で
ダリー(31話)より、プロテ星人(29話)を
先に撮影するなど、リフォームとセットの様子や
スケジュールで、調整されている珍しい時期です。

ツギハギ通路


2番と3番を繋ぐツギハギの通路が、セブンの撮影開始後に
建具などの廃材を利用して作られます。
その為、最初期のメトロン星人などは通路が無いので3番ステの
南側の壁図2
(2番側)を、バックに撮影していますが
後の宇宙人は、壁に通路の影があったり、2番ステージの
南側で撮るように変化していきます。

廊下のセットと雨天の連絡用にと、当初は設置されますが
セット利用は殆ど無く終わったそうです。
図2U

U裏側
この通路の裏は、西日しか当らないのですが
2m級の巨大模型ハイドランジャー(船首にナンバー無しの初期)
撮影の背景に、唯一Uステージ西側(裏)が確認できます。
まだ、最初期の海洋モノが残る時期の
ハイドランジャーは、巨大潜水艇でした。
*作中も1人乗りと複数が乗る操縦席が混同して残って
しまっています。

その後、登場話数(時期)が延びて、砧撮影所で
U警備隊西へに、1.2号の小型艇として登場します。

  天田カード
さらに、
カード(天田カード上)や、雑誌などに使用する
スチールも、美セン内部は材木など資材や建物があるので、

図2
の位置、他西側で撮影しているものが多くあります。
*ウルトラマンの時期の北側に畑や人家が出来て
南側も、高速の工事や美セン内部もオープンセットが建つなど
他の方角が使用し難くなった為。

元祖・怪獣倉庫工作準備室


ウルトラQ、ウルトラマンの大ヒットで美センの北東の角に
図1 6ステ右 工作準備室(*名称は様々ある)が
キャプテンウルトラの頃から~作られ
セブン放送開始の頃に、完成した建物がありました。
機電の倉方氏などの作業場としても、使用された建物で
ビルトの時期には、新しい正門になる位置なので
建物は無くなります。


セブンからは、番組開始前からマーチャンに力を入れる為
登場メカなどが、この工作室前で撮影がされています。
工作室前で出しやすいのは解りますが、正門の広場に
プロップを並べて撮影するなど、時代的に
のんびりした感が窺えます☆

円谷プロも、ウルトラQの頃に砧撮影所から外の京都衣装の建物へ
移りますがまだまだ、後に怪獣倉庫と呼ばれる建物他
京都衣装と共同で使用していたので、初期の怪獣が少ない頃は
この建物(上画)内に、再登場怪獣などが保管され、ブームで
イベントや展示の依頼が来ると、修復した怪獣らも
この中に保管されるようになりました。

そこから、少しずつ後の砧社屋の2階も部分的に
怪獣やウルトラマンを置くようになり
帰ってきたウルトラマンの頃に、京都衣装が移転し
有名な怪獣倉庫になって行きます。

  ウルトラ第2期の頃

第2期前半

1971年帰ってきたウルトラマンで、特撮Aステージ
再び、ウルトラマンが帰ってきます。
同年秋からは、ミラーマンの撮影も加わりますが
美センは、セブンの頃より撮影施設としては・・・くたびれて
ステージも限界に近い状態でした。


帰マン時期には、外から*二重にあがるハシゴをかけていましたが
その後、また塞がれます。*高い位置に吊ってある足場。
照明さんや、操演が上がったり、帰マンや怪獣が
高い位置から落ちたり、飛び降りてにも使用された。

 

ウルトラマンA~タロウの頃
ミラーマンレッドマントリプルファイターと重なる
ウルトラマンAは美センではなく、本編(ドラマ)は東京映画
 、砧撮影所で撮影する事になります。

しかし、Aの後のタロウの前に、ミラーマン終了からすぐ
ファイヤーマンと、ジャンボーグAの撮影が始まり
ファイヤーマンを栄スタジオ(第二)・ジャンボーグAを美センで
撮るものの、美センの老朽化も激しさが増し
ウルトラマンタロウは、ホームが、定まらなまま
東宝撮影所で、撮影会が開かれ、砧撮影所、栄・美セン
東京映画を駆使し、撮影されて行きます。

帰マンから使用されたトランポリンの撮影も、煽りのカットと
同じく特撮Aステージ前のオープンで行われています。
平成に入ると、エレベーター*(マンなどの巨大化のカット)が
作られ、空抜け、爆破合成、太陽光や高さが必要なものは
外で行われています。

*エレベーターは1~3期は、板と人力でしたが
平成はパイプを組んだ専用のエレベーター装置が出来ます。


東宝ビルトへ
そんなタロウの後半の秋、美センは東宝の直の施設として
(株)東宝ビルトに生まれ変わります。
東宝ビルト・1973年(S48)11月17日より名称を変更
*同月キヌタラボラトリーの名称も消滅。
しかし、ほとんど次ぎのウルトラマン(レオ)の企画から
撮影準備に入る時期なので、事実上東宝ビルトでの始めての
ウルトラマンは、ウルトラマンレオが最初になります。

  東宝ビルト・時代   


門の右に東宝ビルトの横長の看板が、ブロックの壁に在った。
ブロックは1期の頃からある物で
3穴のブロック壁とは違い厚身のあるブロックでした。

(株)東宝ビルト1973年(S48)11月17日
美センの設備を、大幅に改良し撮影所としての機能も増やして
名称を変更した施設・会社。

図3


NO.1ステージ・美セン時代の1ステージと略同じ場所で
 やや大きくなって、新設備が盛り込まれたスタジオ
NO.2ステージ・やや小さいが旧1スタジオくらいのサイズが在った。
NO.3ステージ・2ステと並んで、新しく作られたスタジオ。
NO.5ステージ・美セン時代の特撮Aステージと略同じ位置に
 作られたスタジオで、~メビウスまで使用された。
NO.6ステージ・新しい北門からすぐで大きなスタジオ。
*4は欠番 

6スタジオ西の旧3ステージは本来の木材加工の建物として存続。
門は、図3北の
赤い▲

の位置に移動します。
6スタ南のオレンジの建物も、スタッフルームとして残りますが
その南側に、スタジオが増えた為に増設されています。
*オレンジ南のPは、時期的に変動していて後半は舗装でした。
食堂やサロンも、E・Bの建物に時期的に多少変更があったと
思いますが、閉鎖前までありました。
図3
の5スタを前の坂を上がった場所には、平成ウルトラマンの頃
常設の高台が設置されました。 その周辺も後半は舗装され
プレハブが並んでいました。

NO.1~NO.6ステージ・小さいもので85坪・大きいのが110坪でした。
主にTV用スタジオとも言われた。
*東宝の9ステは401.5坪


北側に移った門、右がNO.6ステージ。
小高い丘の上にあり、中を歩いてみると、ほとんど平な所が無く
少なからず傾斜している敷地でした。


手前がNO.6ステージ、奥が旧3番ステージが在った
特撮Bステージの建物です。 屋根他リフォームは
何度かされていますが、
ウルトラQのファーストカットや
科特隊作戦室セットが、置かれていた建物で
ビルト時期には、木材加工などの資材置場で
スタジオでは在りませんでした。
*ファーストカット・マンモスフワラーの地下巨大根っこのシーン。


 平成になると、南のOPにプレハブが多いので、カポック岩など
大物の美術がある時などは、南口からもロケ隊が
(ロケバス・トラック・器材車)出入りしたりもしました。


ウルトラマン80のステージ
ザ・マンと、80は3期と称されますが、特撮では
唯一1本、ウルトラマン80が撮影されています。
その特撮メインステージは、過去のメインとは違う場所の
NO.1ステージを使用していました。

80年代後半にはサイバーコップの撮影もしていました。

ティガNO.5

平成ウルトラシリーズは、ティガの時にNO.5ステージ
円谷プロも出資して、高さのある
(ホリゾントの為)スタジオとして
改築、特撮専用として使用しています。

平成ガメラも、低予算で制作された為、砧(東宝)ではなく
このビルトで撮影されています。

ウルトラマンでは、メビウス外伝アーマードダークネスを最後に
特撮では2008年初頭に、ゴッドマンDVDの特典を新撮したのを
最後に閉鎖になります。

2009年6月には建物など全て解体されました。

It was one of the Ultraman series studio
It disappeared in 2009. 

世田谷区大倉5丁目20-32

ロケ地・撮影に使用された美セン

ウルトラQ

甘い蜜の恐怖

美セン奥の温室も使用されたそうです。
*撮影は1年中季節を再現(先取り)する為にも
緑(植物)が窓外などに必要でした。

ウルトラセブン


 3話・湖のひみつ
 


エレキングがボートに乗って下るU警備隊を光線で
攻撃するシーンは、美センの東名りのオープンに
谷間のセットを組んで、太陽光で撮影されました。
おそらく画面左が南で、抑えに照明(レフ)をあてています。

尻尾の無い人型タイプの怪獣・宇宙人、ウルトラマンなら
ホリゾント前に、滑り台のような傾斜の板を寝かせて
撮る事をしますが、エレキングは、尻尾が在り頭部に
モーターや電飾が組み込まれていて重い事からも、寝かすのは無理で
立ったままであおると、スタジオの天井しか映らないので
外で撮影しています。
実際にはエレキングは、少し前傾になっている程度で
谷の方が水平に近く造られ、カメラが合わせてエレキングが
谷底を覗き込んでいるように(見えるように)撮影しています。

45話・円盤が来た
控え室・スタッフルームとして使用していた
NO.5.6st南側図1オレンジ・1の建物の建物が
フクシンさん
のアパート鳩鴒荘に見たてて撮影されています。


ラストにフクシンさんをポインターで、送って来るシーンが
図1オレンジ・1の建物南側で撮影されています。

急な階段の上(2階)は、ウルトラセブンの時期は
主にメイクや衣装(着替)に使用されていたそうです。
鳩鴒荘の電光看板が見えるカットです。
鳩鴒荘意味としては、はノアの箱船にオリーブの葉を
咥えて戻ってきた鳥なので、今回の事件解決の
「キッカケ」であり、アパートとしては巣立って行く
ような意味だと思いますが、読み方は解りません?(^^:
2文字目は、セキレイ(鶺鴒)マナバシラ(鶺鴒)
ツツ(鶺鴒)ニワクナブリ(鶺鴒)など鳥の名前
使用されるのですが…読み方が全て異なります。
御存じの方が居ましたら御教授ください。

2008年にはピンク塗装されていました。(左02年)
 冷泉さんの記憶だと、ベランダのカットは外に
イントレを組んだ大掛かりな撮影で、かなり時間をかけたそうです。

49話史上最大の侵略・後


ダンアンヌシルエットのカットは
美センのオープンで撮影されました。
土管などが映るカットは、是政ですが
ファンには有名な銀紙のシルエットカットは
美センで産まれた場面です。

ウルトラマンネクサス 

7話・魔人ファウスト  

8話・M.Pメモリーポリス

両話で廃工場として使用しています。

ULTRASEVENX

未来的な街に、電飾などを使用して

ステージ周辺を使用しています。

☆美セン~世田谷体育館近辺

空想工房QAステージ

     

帰ってきたウルトラマン

1話・怪獣総進撃


死に悲しみ中*流星号を燃やすシーンは、美センの敷地
図2の残った部分を倉庫などに使用していた前です。


ウルトラマンと共に戦う事になり蘇った後
アキと共に、流星号の燃えた残骸を前にしたシーンは
のナイトシーンと、略同じアングルで意図的に
撮影しています。

*流星号・ベルコ96A型、当時の*FL500とFJ360で使用された
フォーミュラカーで、(株)ベルコが市販していた
セミモノコックフレームのレーシングカーです。
怪奇大作戦トータス号(が燃やされた)と言うデータが
まだ残って居ますが、ホイールが似ていると言うだけで
流星号(ベルコ96A)は見ての通リ別モノで
燃やしているように芝居しているだけで、画的にも
何も燃やしてはいませんので、撮影や芝居が上手い証拠です。
坂田(岸田)さんが、ガソリン(水?)をかけるカットも
寄りで処理していて、クルマにもかけていないはずです(^^:
*F3の下のカテゴリーでウイングが無いフォーミュラーカー。

2話・タッコング大逆襲、1話・怪獣総進撃

帰ってきたウルトラマン2話1話
シーンの一部が、メイキングスチールから
美センオープンで撮影されたのが解りました。
ただ…少し説明が難しいのが、放映順とパネルの
使用方法が、少しややこしいので…遠近感を
無視したパネルの図P1P2撮影順に説明します。

 画1
簡単に言うと、基本パネルは2枚
最初に撮影に使用してるのは、第2話です。
南隊員と閉じ込められた人達を、ハシゴから
助ける↑の画1場面での一部分で使用されています。
南隊員が入って来るドア部分は別の本東宝変電所。

この画1カットの右に斜めに影が見える部分は、パネルが
切れてるところで、その斜めの影の内側(左)が
パネル図P1の右側です。が…コレは照明などを見ても
スタジオ内の撮影です。

     図P1(2話)

画2

画1の次に、パネルを美センオープンに出して(図P1)
上の部分の丸穴から郷(隊員)が、下を覗くカットの為だけに
外で撮影しています。それが画2のカットです。
で、おそらくこのパネルは一度バラシています。

画3

次に第1話で団地の下で犬を助け、階段の下でガレキの
下敷きになるの撮影をするのに、本当の団地では迫力ある
ガレキが崩れて来る(命を落とすくらい)ような
撮影が出来なかったのだと思います。
結果はメイキングスチールに在るように、美セン
オープンに、2話で使用したパネルを再利用して
パネルの上(このパネルはハシゴからも高さが在る)
から、スタッフがカポックの破片と、砂・粉などを
落として撮影しています。

     図P2(1話)

ですが、スチールを見るとパネル図P1とパネル図P2
左右逆になっていて、P1の左のパネルが逆さまに
使われています。
なので1度バラしている。と、言うかバラさずには
逆には出来ませんし、2話が先なのが映り込んでいる
パネルの%からも解ります。

 画4
作品画面では、カット頭に画4に横凸が見えるくらいで
パネルも画3の左上に少し見えるだけで
略映りませんので、太陽光は必要ですが、特に1話は
このパネルである必要は無いのは1話の画面を見れば解ります。

なので放映順に観てしまうのは、解りますが
このパネルは、本来2話用に造られ、空抜け丸穴の撮影で
外に出して、その後、1話のガレキで絶命するシーンに
流用されたのが撮影的な順番と言えます。

メイキングスチールは、
「エンターテインメントアーカイブ 帰ってきたウルトラマン」
ネコ・パブリッシング (2018.1.31)で観れます。

4話・必殺!流星キック・その他


アキちゃん、夕日はバックに白いギターを
弾いてる(持ってる)場面も
設定的には坂田自動車の裏のようなシーンで
美センの裏が使用されています。


坂田さん次郎くん来て、会話するバックや
上のカットの古タイヤやドラム缶越しの右奥に
美センの温室が見えます。
 *古タイヤは車が走行してるように見せる揺れの表現撮影などや

 
MATアローらの飛行中の揺れにも使用されます。

51話・ウルトラ5つの誓い

最終回でMATアロー1号が、不時着した修理の抜けに
 東名高速が見えるカットは、
図1
温室の南にあった小さい林です。

大型のマットアローのプロップを手前に置いて撮影しています。
燃料を入れる所が主翼の端に在るのでしょうか?(^^:
元々あった木と、高速が出来たのでOPから見えなくする為に
植えたそうですが・・・画面では高速の車が見えます(^^;
のサイズだと解り難いですが、左上にクルマが動いているので
映像だと解ります。コックピットのカットはスタジオ内。

   

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