美セン(東宝ビルト) |
It was one of the Ultraman series studio |
美セン(東京美術センター)時代 |
*ステージ>フロアが土だった事もあり |
1960年代の美セン施設
図1
右の●が、美セン時代の出入り口で東側にありました。 |
美センとは? 東宝ビルトの前身の名称に、東京美術センターと書いたモノと
美セン誕生の地(名称の歴史)
東京美術センターは、資料によると、千歳船橋の 東京映画撮影所(上画)の所内に
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初期のA・Bステージ誕生時期
1~6ステージ(NO)時代へ 科特隊作戦室のステージ(?) 図1、3番ステージの角には、ウルトラマンの放送開始前に マーチャン用3面スチール 美セン北の道路は、セブン~帰マン時には舗装され西側に伸びていますが |
美センの歴史・2(場所としての歴史) その後、黒澤作品「用心棒」(1961年)のOPセットを図1紫の辺りに その後、主は美術センターであり撮影所では無いのですが
そんな頃、東京美術センターは千歳船橋から大蔵に移転 もう1つのA・Bステージ ウルトラマン撮影前のカラータイマー無しのスーツ写真や |
ウルトラセブンの頃 |
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B>NO.2(Aステージ)
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特撮サブステージ>NO.3 ウルトラセブン放送開始前に作られた |
ウルトラ警備隊の6番ステージ
門 ・守衛所 ウルトラQ、ウルトラマンの頃の門は銀色の鉄格子で
撮影前(間)の怪獣は、3ステから図1●が近かったのかも スタッフルーム(フクシンさんアパート)
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美センリフォーム
ツギハギ通路
廊下のセットと雨天の連絡用にと、当初は設置されますが U裏側 天田カード 元祖・怪獣倉庫☆工作準備室
円谷プロも、ウルトラQの頃に砧撮影所から外の京都衣装の建物へ |
ウルトラ第2期の頃 |
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第2期前半 1971年帰ってきたウルトラマンで、特撮Aステージに
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ウルトラマンA~タロウの頃 帰マンから使用されたトランポリンの撮影も、煽りのカットと
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東宝ビルト・時代 |
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(株)東宝ビルト・1973年(S48)11月17日 図3
NO.1~NO.6ステージ・小さいもので85坪・大きいのが110坪でした。 |
80年代後半にはサイバーコップの撮影もしていました。 |
ティガNO.5 平成ウルトラシリーズは、ティガの時にNO.5ステージを 平成ガメラも、低予算で制作された為、砧(東宝)ではなく |
ウルトラマンでは、メビウス外伝アーマードダークネスを最後に It was one of the Ultraman series studio 世田谷区大倉5丁目20-32 |
ロケ地・撮影に使用された美セン ウルトラQ 甘い蜜の恐怖 美セン奥の温室も使用されたそうです。 ウルトラセブン 3話・湖のひみつ
尻尾の無い人型タイプの怪獣・宇宙人、ウルトラマンなら 45話・円盤が来た!
急な階段の上(2階)は、ウルトラセブンの時期は
2008年にはピンクに↑塗装されていました。(左02年) 49話・史上最大の侵略・後
ウルトラマンネクサス 7話・魔人ファウスト 8話・M.Pメモリーポリス 両話で廃工場として使用しています。 ULTRASEVENX 未来的な街に、電飾などを使用して ステージ周辺を使用しています。 |
帰ってきたウルトラマン 1話・怪獣総進撃
*流星号・ベルコ96A型、当時の*FL500とFJ360で使用された 2話・タッコング大逆襲、1話・怪獣総進撃 帰ってきたウルトラマン2話と1話の 画1 この画1カットの右に斜めに影が見える部分は、パネルが 図P1(2話) 画2 画1の次に、パネルを美センオープンに出して(図P1) 画3 次に第1話で団地の下で犬を助け、階段の下でガレキの 図P2(1話) ですが、スチールを見るとパネル図P1とパネル図P2が 画4 なので放映順に観てしまうのは、解りますが メイキングスチールは、 4話・必殺!流星キック・その他
51話・ウルトラ5つの誓い 最終回でMATアロー1号が、不時着した修理の抜けに |
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