油壷・湾

          光跡★ロケ地

ウルトラQ

燃えろ栄光


ジョーピエロになって身を隠していた架空の後楽施設の
ヨットハーバー部分です。 万城目が噂を問い
ジョーのボディパンチを入れるシーンと、夜の雷が光はじめた後の

カットを、ほとんど図1・2の近辺で撮影しています。
後楽施設は撮影的には、数箇所で1つの施設のように撮影し
モチーフ的には、当時出来たばかりのパシフィックパーク茅ヶ崎
葉山マリーナの施設がモチーフのようですが
油壷(現・三崎マリン)に作中までの施設は在りません。


当時逗子・葉山と共に三浦の3大マリーナと呼ばれた1つで
もっとも自然なリアス式を活かした湾のマリーナです。
現在は三浦マリンの鉄筋の建物が東側に在り
全景撮影が難しいのですが、湾のほとんどにヨットが浮かぶ
独特のスタイルは健在で、写真だけだと湖のようですが
ちゃんと海と繋がる湾です。
向って右の赤い小屋の前辺りに
在る(あった)デッキが、画面に出てくるデッキです。図2
*デッキは今も同位置に在りますが作り直されてる
ようです。


ヨットが多く、よく見えないかもですが図2のデッキ近辺です。


車では限界があるので、会員でないと自由には動けませんが
図2のなるべく近くから図1方向を見た角度です。

デッキで万城目ピエロメイクのジョーと話し合うバックは図2
油壷にはもう1つ京急マリーナが、すぐ南に在りますが
湾の南側に、このようにはありません。

 

 

図1
油壺湾は海から深く入り込んだ天然の防波堤に囲まれていた為
昔は台風時に漁船が避難するのに使用されていましたが
1962年堀江謙一さんのマーメイド号単独太平洋横断航海
成功後、出版されたた「太平洋ひとりぼっち」(舵社)が
ヒット菊池寛賞を受賞し
1963年石原裕次郎主演で同名映画*が大ヒット!
ヨットがステータスになり64~65年と増えて行き
ヨットハーバーのキャパが求められ出来た1つでした。
*映画の特撮は円谷特技プロ最初の仕事。
*77年県・三浦市漁業協同組合などにより「三崎マリン」となる。


夜間でのロングで、手前にドラム缶の在るカットは
当然特撮のミニチュアセットで、位置的には少し違いますが
モチーフとなった2階建てのハウスも実在します。

図2

三浦一族☆油壷の由来

油壷一帯は三浦一族新井城があり、北条早雲の大軍と
3年間にわたり戦うが限界で、三浦道寸父子は自刃
将兵は油壷湾へ投身します、その血汐で染まった様子が
油を流したような状態になった。と、される説も在るが、
油のように入り江の水面が静かだからと言う説もあります。

堀江謙一☆ヨットブーム

ピーターはヨットで釣れた怪獣で
ボクシング世界チャンピオン目前のジョーが、身を隠すにも
ピーターとの出会いで在るヨットに関係したと場所として
この地を舞台に描かれていますが、ヨット自体も当時は
1956年石原慎太郎「太陽の季節」映画・主演石原裕次郎
1960年アランドロン「太陽がいっぱい」
若者の青春のアイテムとして、メディアの露出が多くなり
62年に堀江謙一(23才)の世界初単独太平洋横断成功は
映画でもパスポートなしの行為で、日本では無謀な行為とし
マイナスな報道がされますが、それが当時のアメリカでは
大快挙として歓迎され、特別に1ヵ月の滞米期間許可を貰えます。
サンフランシスコ・ロサンゼルス両市から名誉市民の称号
贈られた事で、日本での評価も一変します(^^;
これ以後、映画やテレビ、小説、漫画にも多くのヨットが登場し
プラモデルなど模型も販売され、一般の子供にも
憧れのアイテムになって行きます。


堀江さんは、さらに1974年単独無寄港での世界一周をなしとげ
その快挙は1975年3月に終了するウルトラマンレオの最終回で
ヨットで旅立っていくゲンの姿にも大きな影響を与えています。

まさにウルトラマン的な堀江さんは、その後
1982年縦回り世界一周航海。1985年ソーラーパワーボートハワイ>父島間航海
1989年太平洋横断世界最小(全長2.8m)ヨットでサンフランシスコへ。
1992年足漕ぎボートハワイ>沖縄
1996年アルミ缶リサイクルソーラーパワーボート、エクアドル>東京
1999年ビール樽リサイクルヨットでサンフランシスコ>明石海峡大橋
2002年モルツマ-メイド3号再び西宮>サンフランシスコ横断。
2004年サントリー・マーメイド号で単独無寄港で東回り世界一周

    

     

         

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